2002年02月03日

【002】志ん生の思い出(石毛虹児)

image6.gif初めて志ん生を見たのは、十代も終わりの頃です。上野鈴本演芸場初席の楽日、とりの前の一席でした。出し物は「義眼」で、マクラは「人間てえのは、物を食う時はたいがいその食い物を見ながら食いますナ」と切り出し、ふかし芋を一口一口見詰めながらうまそうに食う、その仕草と語り口の可笑しさに先ず引き込まれました。客席のどよめきが他の噺家より一段と高いのです。


 本題に入ってからも爆笑の連続で、誤って他人の義眼を酔いざましの水とともに飲み込んでしまった吉原通いの遊び人が、目玉が腸につかえ、通じがつかなくなり医者にお尻を見せるくだりで、医者が「これがあなたの尻ですか。また、よくもまあ、こんだけ沢山の毛を生やしましたなァ。こういう尻は、あんまり山ん中で出すのは、およしになったほうがいいですよ。熊と間違えられて狩人に鉄砲でぶたれちまうぞ」と患者扱いが急にぞんざいになる医者の人物描写に何か突き抜けたような可笑しみが客の腹の皮をよじります。


 さげは男の肛門を虫眼鏡で覗き込んだ医者がいきなり飛びすさり、血相を変えて外に飛び出した。びっくりした患者の奥さんが追ってきて、「先生、どうなさったんですか」「いや、驚きました。この眼鏡で尻の穴を覗いたら、向こうからも誰かがこっちを睨んでいたァー」


 喘ぎながら恐怖の事態を噺す志ん生(その困惑の表情は忘れられない)の突然のさげに、客席は一気に爆発し、笑い転げ、場内はそれこそカオスに堕ち入ったようでした。笑いは永い間収まらず、次の出番のとり(なんと桂文楽でした)は客席のざわめきが落ち着くまで、暫くは出てこれない有様でした。


 もう一つ印象に残るのは、師匠が病に倒れ三越劇場で復活した時の噺です。「三途の川を渡りましたが、閻魔様が、お前さんみたいな奴は、しっしっ、あっち行け、てんで、地獄から追い返されて帰(け)えって参りやした」と笑わせ、「猫の皿」をたっぷり聴かせてくれました。筋は知られているんで省きますが、地方に足を伸ばした骨董品の仲買人が川越の宿のあたりの茶店で休んでいる場面で、その前に小川が流れている。「めだかが鼻の先を揃えてツーっと泳いでやがる。呑気なもんだ」などと独り言で、茶店のあたりの春の午后の様子を描写する話芸は絶品でした。広い劇場一杯に本当に春が漲って来たような〜現実の季節は確か十二月だったと思う〜錯覚があり、客席はしんとして、いかにものどかな春の茶店のほのぼのとした気分を志ん生とともに聴き手の誰もが楽しんでいるように思われました。私は心の中で唸りました。これが志ん生だ、これが名人の芸だ、と叫びたいような気になったことを憶い起します。


 古今亭志ん生去って三十年余。今、生の志ん生を知らない若い世代にも依然として根強い人気を保っているこの名人に幾度か直に接し、その噺を聞けたことは、少しでも時代を同じくして生きていたということは、私の密かなひとつの幸せと思っております。

平成十四年二月三日

posted by ひろば at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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