2002年01月31日

【006】柳家小里んとの出会い(まいるど)

image3.gif昭和39年、今から38年前の春、私は胸をはずませて高校の門をくぐった。
私が入学した足立区綾瀬にある都立江北高等学校の同じクラスに安田雅行という小柄な少年がいた。これが柳家小里んと私の最初の出会いであった。浅草の蔵前中学校出身の彼は、人を楽しませる才能に長けており、入学早々クラスの人気者になっていた。先生の物まねや大鵬や柏戸など相撲力士の仕切の物まねは秀逸であった。

運動神経が抜群であった彼は体操部に入ったが、クラブには彼を指導する先生も先輩もいなかったようで彼は一人で黙々と練習を続けていた。高校2年の時、高校総体に出場。タンブリングという種目で金メダルを取った。快挙である。その時の銀メダルはその後オリンピック選手になった、あの有名な体操選手の塚原。そのくらい凄かったのである。

また、彼は落語研究会にも入って、文化祭では学校中の人気を集めていた。どんな噺をしていたのかは、今となってはあまり覚えていないが、何しろ面白かった。落研の先輩達よりはるかに上手かったという記憶がある。

女子生徒にも人気があったが、彼の方から好きになった女の子とはほとんど片思いに終ったようである。
彼は数学、英語、物理といった、いわゆる学校の勉強は嫌いでほとんど授業は聞いていなかった、その代わり古典芸能や文学など普通の生徒とは一味違った方面に興味が集中していたようであった。

高校時代の3年間は本当に楽しかった。あまり勉強を一生懸命やったという記憶も無い。そこに大学入試という現実が現れる。それでも勉強はしなかった。なんとかなると思っていた。入試勉強をほとんどしていなかった彼は無謀にも早稲田大学の試験を受けた。あとで、彼に聞いた話だが答案をほとんど白紙状態で提出、合格する訳が無い試験の発表を見に行った自分が情けないともらしていたが、これも彼一流の洒落だったのかも知れない。

大学受験に失敗した彼は、小さん師匠の門をたたく事になり、ここから彼の噺家としての人生が始まった訳である。
小里んの落語会には今でも大勢の高校時代の友人が集まる。打ち上げはほとんどクラス会状態だ。二次会のカラオケで最初に歌うのは舟木和夫の「高校三年生」。皆の顔は三十数年前の高校生の顔に戻っている。高校時代のやんちゃな人気者、安田雅行がそこにいる。

私が大和田の丸花さんに顔を出すようになったある日、丸花さんの柱に小里んの千社札が貼ってあるのを発見した。マスターの花嶋さんに「小里んは私の高校時代の友人だよ」と話した事から話が盛り上がり、大和田落語会に出演してもらうことになった。去年の夏のことである。彼は二つ返事で引き受けてくれた。丸花さんの座敷で演じた「笠碁」はすばらしかった。寄席では味わえない演者と観客が一体となった「噺」がそこにあった。

その後も彼はちょくちょく大和田の丸花さんに顔を出しているようだ。この1月の大和田落語会で「獅子舞」をすると約束をしたのも、丸花さんでかなり酒が入ってのことらしい。彼は自前の獅子頭を持参し、見事な獅子舞を演じてくれた。
酒が入ろうが入るまいが、彼は約束を大事にする人間だ。人とのつながりをとても大事にする人情に厚い男だ。
柳家小里ん。浅草生まれの江戸っ子。彼は昔からそういう男だった。

平成14年1月
posted by ひろば at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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