2002年08月01日

【009】「百年目の」の番頭さん(鈴木和雄)

 「大劇場での独演会はこれで最後にしたい」と言われる米朝師匠の歌舞伎座での高座の様子をNHKTVで二度も見た。 演目は「百年目」と「一文笛」だったが「百年目」は師匠の最も得意とするもので、その円熟した話し方に得心すると共に、師が表現する関西商人の厳しさと遊び心と、これを見つめる旦那の鷹揚さと慎重さを表す噺が妙に可笑しく、そして悲しく聴かれるものである。

 この「百年目」を聞くたびに、私はいつもこの番頭さんはいくらぐらい花見の遊びに金を使ったのか、また、旦那が噺の終わりのほうで番頭を翌朝呼びつけて、遊びの現場を見つけたので心配して帳面を調べたが少しの穴もなく、自分の甲斐性で遊んでいると誉めているが納得いった上なのか。

 本当に番頭は自分の甲斐性の範囲で遊んでいたのだろうか。さんざっぱら店の若い連中を怒っておいて自分はさっさと店を出て、少し離れた所にある駄菓子屋の二階の二畳の部屋で、遊びのための衣装に着替えて幇間の案内で屋形船で花見に出掛ける。芸者を数人と幇間をまじえて、船上で酒と料理を楽しんでいる。一体これだけでいくら掛かるのだろう。本当に番頭としての給金の範囲でこんな遊びが出来たのだろうか。

 どうも昔の話しだし、済んだ話なので、あっしに係わりの無い話なのだが、やはり下衆の勘ぐりというか何か心配になる。そこで江戸時代の商家で働く人達の給金について調べてみた。 丁稚は子供のころから働きに出ても、せいぜい毎年お仕着せを貰えるくらいで殆ど無給同然だったようだし、手代になっても、そうたいした金は貰えない。年に三両も貰えればいい方だと言う。

 「商人(あきんど)の時代」島武史著の本によれば、近江の豪商と言われた中井家の給与体系が示されているが、出店や時代により多少の違いがあったらしいが、仙台店の例によれば、丁稚は二両、元服すると三両、手代になると五両から六両、番頭が七両、元方支配人と言うから筆頭番頭が十両という。大阪店の場合は元方支配人は八両だが奨励金としてプラス二両があったというから同じくらいな額になる。別の桐生の織物問屋の番頭は二十両で歩合が四割増しという。結構貰ってるなと言う感じだ。

 これに対しどの位遊び代が掛かったのか。
「時代考証辞典」稲垣史生著によれば、江戸時代、酒は一升四十文程度、鰻の料理が百文から二百文という例がある。 番頭にお供する芸者や幇間がガブガブ酒を飲むこともあるまい、せいぜい二、三升か、料理にしたって三、四皿だろう。


 芸者が三、四人それに幇間で(芸者一人、一分二朱、幇間も同じくらいと推定)一両二分二朱ぐらいか。(ここの所「江戸おもしろ事典」同著) 更に屋形船であるが、これの使用料が判らない。で当時よく使われていた屋根舟の値段で推定すると船頭二人乗りで柳橋ー山谷堀を往復する屋根舟(五、六人乗り)の片道運賃が四百文だと言う。屋形船は(十から二十人乗り)だから、まあ倍として八百文、それの往復だから千六百文ぐらいかと思う。あと駄菓子屋の部屋の借賃だが二畳の一間だからせいぜい月五十文ぐらいか、総計すると芸者などの一両二分二朱と酒、料理そして船等で二千五百文で二両も掛かっていない。

 このように計算してみると甲斐性の内かと思うが、この番頭さん花見ばかりではあるまい。月見、紅葉狩り、雪見と四季の遊びも知っているに違いない。それに店と店の付き合い、所謂社用族の酒のうま味のほかに一人で月に一、二回ぐらいはきこし召すとすれば、本当に給金の範囲でやれたのだろうか。

平成14年8月

posted by ひろば at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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