2002年09月02日

【011】「れんじゃく」ってなぁに?(鈴木和雄)

 志ん生さんのお得意のひとつである「黄金餅」を聴いていますと、下谷山崎町の長屋の一室で風邪で臥していた才念坊主は隣にいる金山寺味噌を売り歩く金兵衛さんに見舞いとして二貫文の餡ころ餅を貰い、その餅に托鉢で集めた持ち金をくるんで食べて、喉につかえさせて死んでしまう。これを壁穴から見ていた金兵衛はこの金を何とか自分の物にしようとして、自分の知人がいる焼き場に持ち込んで遺体が焼けるのを待って、遺体を運び込んだ菜づけの樽に遺骨を詰め、連尺して運び去り、遺体から出て来た金を元手に「黄金餅」をつくり大そう繁盛したと言う噺であるが、私はこの金兵衛が樽に連尺してと言う言葉に興味を持った。


 「れんじゃく」とは何か。国語辞典を見ると次のように説明されている。
「れんじゃく(連尺、連索)」

  (1)物を背負う時に使う道具。二枚の板に縄を繋いで背に当てるようにした梯子状のもの。

  (2)肩に当たる所を幅広く麻縄などを組んで作った荷縄。
(1)は所謂山や畑で働く人達が木の枝や畑の作物を運ぶ時の背負子の様なものであろう。(2)はこの「黄金餅」で述べられている遺骨の入った樽を幅広いひもで肩に痛くないようにするものであることが判る。
 さて、この連尺と言う言葉には別の事典では「連尺商いをする人。物を背負い、または荷なって売り歩く行商人」とある。

 今、東京の郊外の三鷹市に上連雀、下連雀と言う地名があるが、ここはその昔、明暦の江戸の大火で焼け出された神田連雀町に住んでいた人達がこの武蔵野の地に移り、新田を開発して永住した土地だと言われている。


 この連雀町と言う名前は関東地方や東海地方の城下町によくある名だそうで、中世後期から近世後期に連尺で荷を背負って行商にでる商人の多くが住んでいた所と言う。これはこれらの町は経済交流が発達していたと言うことを示すものであろう。


 それで連尺町または連索町という名前が付けられたのだろうと言われている。
同じ「れんじゃく」で「連雀」と書く名の鳥がいる。事典によると「燕雀目の鳥で体は黄褐色で翼に緋色の美しい斑紋があり頭には毛冠がある。産地は東部シベリヤで冬になると渡来する」と紹介されている。江戸の人達は同じ音韻であるならば「連尺」より「連雀」の方が優雅に聞こえると思い「連雀町」と言うことにしたのだろうか。ここは勝手な想像です。

平成14年9月

posted by ひろば at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/33383387

この記事へのトラックバック