2002年04月01日

【013】禁えん落語はどうなった(鈴木和雄)

禁えんと言っても、煙草をやめろと言う噺ではありません。
昭和十六年に戦時下であるので、相応しからずと軍部の圧力で多くの落語のネタが封印されましたが、東京浅草寿町の本法寺に「はなし塚」として碑を建て、筆・台本などが埋められていたことがあったそうです。
この禁演落語は五十三種にのぼり、今聞いてみると、そんなにふざけたり堕落したものでないと思いますが、いわゆる廓噺や花柳界の噺、妾の噺、それにばれ噺で、当局にとっては士気高揚の時制に合わないと思ったものでしょうか?

この五十三の噺は現在は普通にラジオでもテレビでも聞いたり、見たりしているものばかりです。例えば「明鳥」は亡き文楽や志ん朝の名口演のものですが、ダメだったんですね。「居残り佐平次」「品川心中」「付き馬」なんて言うのも確かに廓の噺ですが「心中」とか「人を騙す」と言うのが、教育上いけなかったんですかね。「蛙茶番」のような男性のヌキミや「せんきの虫」のような虫が隠れる場所が女性の体の一部と言ったH系を想像させる噺も、今や世の中がピンク系なんでもあれの時代は、そうピンとお客に来ない噺なのかもしれませんが、あの当時は、関係者にとっては、ピリピリする噺だったのでしょう。「後生鰻」「六尺棒」「おはらい」「子別れ」は今ではなんで禁演落語に入れられたのだろうと言う感じです。


しかし、この五十三の噺の中に私は未だに聞いていない噺が在りますが、何方かテープかレコードをお持ちでしたら、演者は誰のものでも結構ですから、聞かせてくださいませんか。それは「粟餅」「首ったけ」「廓大学」「三人片輪」「三助の遊び」「贋金」「白銅」「ひねりや」「一つ穴」「万歳の遊び」「氏子中」「葛籠の間男」「とんちき」です。宜しくお願いいたします。

平成14年4月

posted by ひろば at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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