2002年05月31日

【014】古い皮袋に新しい酒を盛る(鈴木和雄)

 落語を好きでない人は「あんな同じ様なことを言っているのが、何処が面白いのか」と言う。しかし、我々愛好家に言わせれば、そこが落語の醍醐味なのだ。演者の脚色と演出で噺が活き活きもするし、そうでなくなる時もある。古典落語と言う古い皮袋に現代の感覚と言う新しい酒を注ぎいれることで、古い落語が現代に蘇って来るのである。新しいくすぐりを入れたり、下げを考えたりして演者は大変な苦労をしているのだろう。


 かつて、三代目の金馬師匠が何かの前噺で、児島高徳が後醍醐天皇を追って行安所に行き、桜の幹に「天匂践を空しうするなかれ、時に范蠡なきにしも非ず」と記したが、ここの所を、ある人は「女給募集」と書いてあったと言う風に紹介している。確かに同じ筋の噺でも一箇所変えることにより笑いをとる事がある。それも演者の時代への感性を表すものとして聞く者に捉えられるし、意識を同一にすると言う意味で笑いが起こるのかもしれない。


 そういう意味では「死神」でとなえられる呪文は、その時代と社会情勢と演者の立場を表す文句になっていて面白い。まさしく大ベテランと幹部、中堅の世の中の見方を表しているのかも知れない。
 世の中が学生運動盛んな頃に円生さんは、死神が、かみさんに追い出された男を助けてやろうと、俄医者にさせ、呪文を教えてやる。
「阿闍羅迦もくれん 赤軍派 てけれっつのぱ」
この赤軍派と言う言葉はその時代を表すもので、円生さんには強烈に感じるものがあり、噺のなかに採り入れ、聞いている人々も「ア!」と思って笑ったのであろう。録音でもこの部分で爆笑が起きていることが聞ける。


 円楽師の「死神」では
「阿闍羅迦もくれん アルジェリア てけれっつのぱ」
と言っている。昭和61年頃の録音だが、当時、北アフリカのアルジェリアで紛争があった時の事だろうが、単なる語感だけで笑いを起こしているとは思えない。


 小三治さんの呪文では、中の部分は「ちゅうらいす」と言っている。平成3年の録音だが、どうゆう意味か良く判らない。


 円弥さんの噺では、TBSに出演の時の録音で
「阿闍羅迦もくれん TBS てけれっつのぱ」
と、呪文を教えている。演じている場所がTBSだったので、局に対するお世辞を言ったのだろうか。そうゆう意味では円弥さんはスポンサー大事の精神が旺盛なのか、或る時は中の部分を「菊正辛口」と言う。
これが若い演者になるとこの呪文の部分が社会批判と言うか、個人攻撃と言うかズバズバと言いたいことを言っている。


 志らくさんの呪文は
「阿闍羅迦もくれん 志茂田景樹さん 貴方は本当に直木賞の作家ですか てけれっつのぱ」とまで言い切っている。この呪文で志らくさんが何を托そうとしたのか良く判らない。


 いずれにしても、その時代の様相を伝えようと噺の中に演者の見方を入れていることは確かであり、今、円生さんが生きていたら「赤軍派」の代わりに何を入れ、志らくさんは、志茂田さんの代わりに何と言っているのか聞きたいものだ。

平成14年5月

posted by ひろば at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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