2002年06月01日

【015】大家さんは糞尿も飯の種(鈴木和雄)

 今、私達が大家と聞くと、その人は何軒かの家を持っていて、それを借家人に貸して、店賃をとり収入としている人と解している。つまり家主とか家持の人だと思っている。


 しかし、落語の世界の時代の大家とは、江戸末期のものとすると解釈が違ってくる。八つあんや熊さんの住んでいた長屋を持っていた家持は別の所に住んでいた。そして同じ長屋の住人だが、家持の委託を受けて、長屋を維持管理して、借家人から店賃をとったり修理、造作をしたり、更には、長屋への入居を認めたり、住人の管理をする人が大家で差配人とも言われた。


 この大家が馬鹿な権限を持っていて「大工調べ」や「長屋の花見」「お化け屋敷」ではそれぞれ大家の風を吹かせて、八つあんや熊さんを治めている。


 「大工調べ」で大家が「俺は町役人(ちょうやくにん)だ」と威張っている。確かに町奉行所の末端役人であり、奉行所から長屋内の自治や住人の監視を委ねられている所もある。借家人が法を侵さないように気を配らなければならないし、火事を出さないように火の用心を怠りない。昔は無宿人はご法度だから、家を借りに来た者が無宿人だと受け入れない。逆に「髪結新三」の大家のように新三が無宿人と判っていても受け入れておいて新三が白子屋のお熊嬢さんを誘拐した時に、間に入った源七親分に尻尾を巻かせた新三に、厳然と立ち向かい「無宿人と言うことをばらしてやるぞ」と脅しをかけて、新三の受け取った金の上前をはねるような悪どい大家も出てくるわけである。


 また、大家にも、いいのが居て、「長屋の花見」のように、借家人のリフレッシュのために自ら花見を催すが、何せ金はそんなに掛けられないから、そこでご存知のように、お茶と大根の漬物で見てくれのいいようにして花見をしている。


 しかし、三日月長屋とか戸無し長屋とか言われる貧乏長屋の花見だから大家がそうするのだろうが、大家自身も貧乏かと言えば、決してそうではないようだ。


 「江戸っ子学・知ってるつもり」中村整史朗著によれば、大家は最低でも年に三十両、高いもので二百両もの収入があった人がいたと言う。最低の長屋は貧乏長屋だろうが、高いところは商家の番頭や腕のいい職人が住んだ長屋のようである。年百両の収入を得ている大家の例で言えば、家持からの管理料としての給金が年二十両、新借家人からの保証料を一軒二・三両、それに当時の長屋の便所は共同便所だから糞尿の汲み取りに来る近隣の農家は肥料として大家に金を払って持って行くようになっていたそうである。その他、昔は酒、醤油、味噌等なんでも樽で買うが、この空樽はすべて大家が後始末をしていいことになっていて、この糞尿と空樽の処理で年五十両程得ていたといわれる。


 「大工調べ」で与太郎の稼ぎが一日三匁と言っている。月二十日稼ぐとして月約一両である。年では十二両となるか。これだから年百両の収入の大家は決してお茶や大根の漬物で、ちんけな花見を勧める実入りではない。相手が沢山居ることだし、酒も他人のものだと底無しに飲んでしまう自堕落の者共だから加減したのだろうか。

平成14年6月

posted by ひろば at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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