2002年07月01日

【016】草鞋は現代のスニーカー(鈴木和雄)

 今、私達が大阪、京都方面に行く時は飛行機か新幹線、或いは自家用車を使って行くことが当然である。わが家から電車を乗り継いで空港に行くか、鉄道駅まで行くか、又はわが家のドアの前から車に乗りホテルか旅館のドアの前まで行くかいずれかである。この為歩く距離は多寡が知れており気軽に履き慣れた革靴かスニーカーを履いて旅に出る。


 ところが昔はそんな便利な乗物は一切ない。せいぜい道中で疲れたところで馬に乗るか、駕籠に乗るか、所に依っては船に乗るかで、それも全行程という訳には行かない。
とぼとぼと歩く以外に能が無い。そこでお世話になるのが「草鞋」である。日常の町中での歩行には下駄や草履があって簡易につっかけて歩ける履物があったが、一寸長距離になると、もう草鞋の出番である。旅ばかりではない。土木建築工事、運搬作業、農事作業、下級武士の活動等々、草鞋の使用される場面は多い。

 落語で草鞋が登場する場面は談志師の得意の「ぞろぞろ」で、神様の御利益で草鞋があとからあとから出て来る噺。一足十二文(談志師は二十文と言う、笑三師は値段を言わない、ただお宝と言っている。)で元手要らず、店は繁盛する。ここでは買って行く人は職人か雨に濡れて替えの草鞋を求める町人と言うことになっている。


 円生師の「御神酒徳利」でも主人公の番頭が浜松の旅籠に泊まって、そこで武士が金と密書を盗まれたのを、インチキ算盤占いを使い、真犯人である下女から盗みをしなければならない当時の事情を聞いて、あたかも占いで当てたかの如くにして、下女を助けてやり、当人も沢山の褒美を貰う噺だが、ここでも草鞋は出てくる。番頭は自分の算盤占いでは、当てることが出来ないと、占いの部屋から夜逃げの算段をするが、その時神様へのお供えとして握り飯と草鞋を要求している。旅には飯も大切だが歩く道具として最も必要な草鞋がなんとしても欲しかったのだろう。


 志ん朝師の「崇徳院」でも恋患いの若旦那の相手を探せと厳命された熊さんが早速握り飯と草鞋を腰の周りにぶらさげられて、ほうほうの体で一旦家に帰って来ると、かみさんにも草鞋を付けられて町の人手の場所を彷徨い歩くということになっている。


 この様に草鞋は今の我々が歩行に際して履く革靴やスニーカーの如く、絶対必要欠くべからざるものだった。前述の通り、今は交通機関があり、歩く距離は極めて少ない。だから靴一足あれば東京ー大阪は行って帰れる。しかし、昔はただ歩くのみ。一日に30キロから40キロ(当時大人男一日10里、女7里と言われた)歩かないと行程がこなせない。早朝に宿を出て8時間から10時間歩き薄暗くなって次の旅籠に泊まることになっていた。それでも江戸から大阪まで十三日ぐらい掛り、途中で疲れて馬に乗ったり、女は駕籠に乗ったりしたこともあったようだが、中級の旅籠(一泊200文ぐらい)に泊まったりして約4貫400文掛かったと言う。そして歩くための草鞋が一日に二足も履きつぶすような状態で一足12文として日に24文、草鞋代だけで往きに26足(312文・・・今の金額で5200円ぐらいか)掛かった。それでも茶店ではお茶一杯(一文)だけで、団子(一串5文)、饅頭(一個3〜5文)も食わずと言うつましい旅だったそうだ。(時代考証事典、稲垣史生著) だから草鞋に関して言えば、我々が今スニーカーで東京ー大阪まで行ったときに消耗する靴の値段とほぼ同じではなかろうか。


 草鞋は昔の人々の生活に密接に係わった歩く時にも、働く時にも欠くべからざるものだった。私達が噺を聞くとき、草鞋がどんな形で活躍しているかを想像しながら聞くのも楽しいことではあるまいか。

平成14年7月

posted by ひろば at 15:02| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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