2002年08月01日

【017】名調子は楽しい(鈴木和雄)

 その昔、浪曲の広沢虎造の「森の石松」や玉川勝太郎の「平手御酒」の当て節の名調子に人々は酔いしれたものである。そして、これを聞き慣れた年寄りなどが、風呂にはいるとこの当て節の真似をして、その一節を唸ったりしていたものである。講談でも修羅場になると「頃は慶長十五年・・・」などと扇子で釈台を叩いて客席を唸らせ、その名調子に人々は座っている足の痛さも忘れた。


 落語にだってそんな名調子は沢山ある。志ん生さんの噺全体に亘る枯れた声で演じる抑揚は一つの名調子で、客席を笑わせたり、泣かせたりもしたが、特に「黄金餅」のお金をくるんだ餅を喉に詰まらせて死んだ才念坊主の遺体を、下谷山崎町から麻布ぜっこう釜無し村の黙禅寺まで運ぶ噺は、息もつかせず、よくもまあ、あんなに覚えているものだなと思わず感心し、「あ丶疲れた」と志ん生さんが言う所で、拍手がわき上がるのである。これこそ名調子なのではあるまいか。ここの所は、志ん朝さんでも談志さんでも同じである。志ん朝さんのは威勢がよく、聞いている客の方が身を乗り出して聞いてしまう名調子である。

 志ん朝さんはもう一つ「居残り佐平次」で、「アッ」と思う名調子がある。佐平次が友人を引き連れて品川に向かう時、一寸木遣りっぽい調子で「えーーー」と一声出す所があるが、これで、がらりと品川に入った所を表すシーンがある。これは志ん朝さんが新内や常盤津等のベテランであるから出来るもので、まさしく鶴の一声の名調子の一つと思っている。


 先々代の柳好さんの「野ざらし」の噺全体の名調子と共に、釣りをする場面の「鐘がボンーとなりゃさ 上げ潮みなみさーー」と歌う柳好さんの歌い方は師匠一流の独特の調子を表しており、私はこれに酔う。

 円生さんの「がまの油」の口上はご本人が「私はやっていたわけではありません」と席上で断っているが、商売をしていたのではと錯覚させられるくらいの名調子だ。


 先代金馬さんの「居酒屋」の小僧の酒の肴の口上を言うくだりは、何度聞いても可笑しさがこみ上げて来る。もう一つ「金明竹」の中橋の加賀屋佐吉が、与太郎の前で言う挨拶の言葉は聞いている客席をボーとさせるくらいの早口で、この台詞は面白い。


 談志さんの「源平盛衰記」の講談の修羅場調に語る所は名調子。「桑名舟」の五目飯まがいに修羅場を語り、鱶に蒲鉾屋と勘違いさせるくらい舟ばたをバンバン叩いて噺を進める談志さんの名調子も素晴らしい。
 先日亡くなった小さんさんの「時そば」で、そばを食う場面は、言葉は無いが見ているだけで大きな拍手を起こす程の名調子であり、また「強情灸」で主人公が熱い灸をこらえる顔と腕の表情が面白く場内が沸く名調子だ。


 文楽さんの「富久」における幇間のいち八が火事見舞いに行った旦那の家から自分の家の方角の火事の知らせを聞いて「チョー、チョー、チョー」と息をはずませながら走り帰るシーンは、観客から思わず拍手が起きるほどの名調子である。「愛宕山」の山登りで幇間が「お前待ち待ち蚊帳の外 蚊に食われ七つの鐘の鳴るまでもーー」と歌いながら登っていく姿は、いやだけど欲と金が絡んで、行かざるを得ない幇間の哀れさを感じるものである。小朝さんはこの歌の所を「高い山から谷底見ればギチョンチョン 瓜や茄子びの花盛りーー」とよんでいるがやはり面白い。旦那に縋らないと生きていけない幇間の生き様をユーモアとペーソスをまじえて表現していて名調子であろう。


 円生さんの「三十石船」の終わりのほうで歌う船頭唄は、これから大阪から京都にのぼって行くお客の眠りを誘う逸品の歌声である。


 この様にそれぞれの名人は、それぞれの名調子を自ら考え噺の各場面で演じている。

平成14年8月

posted by ひろば at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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