2003年03月01日

【025】癪のたね(鈴木和雄)

 落語や芝居にはよく昔の病名で話される噺がある。談志さんのお得意の「疝気の虫」の疝気とか、忠臣蔵の浅野内匠守が病んでいたのではないかという痞え(つかえ)、そして小三治さんや小文治さんが話している「薬罐なめ」の癪(しゃく)などである。

 この「薬罐なめ」の癪は女主人公が苦しむ噺である。小三治さんは噺の冒頭にこの病について説明している。曰く「今、医者に行っても癪と言う診たてはない。今の病名で言うと何か。医者に依れば、この病気はあばら骨の下とお腹の上の間でさしこむように痛い。胃痙攣が多いと言う。その原因は何かというと胆石、腎臓結石、十二指腸潰瘍、胃潰瘍、胆道痙攣、そして怖いのは狭心症によるものを総じて癪と言ったという。」そして女の人に多いというのが判らないとも言っている。

 何か異常な事に遭遇すると緊張が走り、胸のあたりが急に締めつけられ時と所を選ばず苦しみだし、のたうちまわって仕舞うという。「薬罐なめ」の女は春の野原を散策していて、蛇を見て癪をおこし、苦しみだし、付添いの女中がいつもの癪の合い薬としている薬罐を舐めさせれば直ることを思い出し、通り掛かった薬罐頭の年配の武士に頭を舐めさせて欲しいと懇願する。武士の方も女中の命に代えてもと言う忠義心にほだされて許してしまうと言う噺であるが、確かに小三治さんの言う如く今は癪になったと言う話は聞かない。

 しかし、古い辞典を見ると「辞苑」には「癪−強度の胃痙攣によって胸部、腹部に起こる腹痛、婦人に多く甚だしきは人事不省となる。」と記されている。更に「家庭の医学」−時事通信社刊によると「胃痙攣」について「胃痙攣と言う病気は無い。急に差し込んでくる激しい上腹部の痛み。原因として胆石、急性膵炎などがあげられる。狭心症や心筋梗塞でも上腹部の痛みの起こることがある。」と記されている。

 私の小学校五年生ぐらいの時だったろうか。我が家は親戚の家を借りて住んでいたが、その家主のおばさん(50歳代)が、しょっちゅうここで言う癪に悩まされていて、2、3月おきぐらいにこの病を発する。そうするとその家の人達はばたばたと走り回り、それ薬よ、医者よと慌ただしく動いていたのを見た記憶がある。

 ある時、たまたまその家の近所で遊んでいた私はそのような時に掴り、医者に迎えに行くことを頼まれ、走って20分ぐらいの医者の所に往診の依頼にいかされたことがあった。当時の医者は外来で患者が待合室で待っていても、、しばらく待ってくれと言って、お抱えの人力車に乗って飛んで来てくれ、注射を一本打つとこれで大丈夫とばかりに家の者達に言って帰って行った。その後、おばさんは、翌日は、けろりとして、あちこちにお礼を言って歩いていたのだがあれが所謂、癪だと言っていた。

 私自身も一度だけ、胃と言うか、みずおちのあたりが痛いと言うより、ものすごく気持ちが悪く、横になって寝ていられないくらいで、みずおちのあたりを押さえて布団の上を七轉八倒していた。結局医者の往診を仰ぎ、これも注射をしてもらって、しばらくして安静を得たが、医者は親に胃痙攣ですと説明していた。今、思うとなんであんなに苦しんだか判らない。以後ああゆう辛い思いをしたことはない。

 会社に勤めていた頃、よく胆石や尿道結石で七転八倒の苦しみをしたと言う話を聞いた。胆石は結局手術をして取り除いたり、軽い尿道結石は水やビールを飲んでいたら、便器にコロコロと石が出て、痛みがなくなり、その石を皆に見せていたことがあった。また狭心症がおき、病院に駆け込むほどでなかったので、「ニトロ」を舐めて胸の痛みを押さえたなど言う話しも聞く。先の「家庭の医学」の症例の如く、今は、個々の具体的な病名で発症した痛みを的確にとらえ、それに対処しているので、昔のような癪と言うような漠然とした病名でとらえる事が無いため、私達は命を永らえることが出来ているのだろう。思えば医学の発達は人間に大いなる幸いをもたらして呉れているのだなと感謝の念が起こって来るものである。

平成15年3月
posted by ひろば at 06:17| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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