2003年05月01日

【027】宮戸川(鈴木和雄)

 今、私達が聞いている「宮戸川」と言うのは夜遊びで碁を指していて遅くなり家を締め出された半七と、これもカルタ取りで遅くなり家に入れてもらえないお花の二人が半七の叔父さんの家に行って、そこの二階で雷鳴に驚いたお花が思わず出したす−と伸びた白い脚を半七が見てくらくらとして言う演者が「ここまでしか師匠に教わらなかった」とか「本がここで切れていた」とか言って終わっているが、実はこれは「宮戸川」の前半に過ぎず、「宮戸川」の題名の由来は後半に在るという。

 「落語における江戸の悪文化」の中で「落語に隠された悪のトポス」を書いた内藤正俊氏に依れば「宮戸川」とは隅田川の呼称であって、江戸時代にあっては浅草山谷の待乳山付近から駒形あたりを指して言ったものだという。


 「半七とお花は結局結婚したが、ある時、お花が小僧を連れて浅草の観音様に行った帰りに、また雷が鳴り、落雷し、それに打たれて気を失っていると、ならず者が二人出てお花に乱暴し、殺して宮戸川−今の隅田川に投げ込んでしまう。それから一年後、半七が山谷堀から舟に乗っているとその船頭がお花殺しのことを口走る。そこで半七が船頭を打ち据えて仇をとったと思った所、それが夢だった」と言う噺だそうである。ここへ来て「宮戸川」の由来が判ったというものである。これは私達がいつも聞いている噺からは想像出来ない恐ろしい噺である。


 落語にはこのように私達は噺を聞いて軽く笑っているが実は恐ろしい噺が多いと言う。

 円生さん、正蔵さんが演じた「双蝶々」に出てくる長吉は夜、店が終わって風呂に行くと称して、夜道を歩く娘達から簪などの品物をひったくり、されにこれを見ていた番頭が主人の金をかすめ取ろうとしたのを殺し、百両を自分の物にするという相当な悪党である。

 円生さん、歌丸さんの「髪結新三」も大店の娘お熊をかどわかし、金を強請り取るという奴だ。悪は悪に退治されるが、これも恐ろしい。

 志ん生さんの「穴釣り三次」も50両の金を持って惚れた男の後を追った店の娘を不忍の池で殺し、更にその男も殺そうとするが、御用となり、捕まるが、後で改心する噺だ。

 刀をやった目鱈に振り回す「試し斬り」の噺は、人の命を何とも思わない馬鹿な侍連中の噺。「たがや」で武士と職人のたがやが刀を振り回すが最後に馬上の侍の首をあげてまわりから「たーがーやーー」の掛け声は威勢がいいが、あとを考えると恐ろしい。

 殺さないまでも「蔵前駕籠」は吉原に行く客を脅して金品を奪い取ろうと刀を持って待ちかまえる無頼の侍達。「夢金」の浪人武士も大店の娘を騙し金と命を取ろうとする。刀を使わないまでも「鰍沢」の月の兎花魁は宿を求めた旅人の金を狙って鉄砲で殺しをはかる。

 直接人を殺すまでには至らないが、実際は死に追いやってしまう悪の行為をする連中もいる。
「稿人形」に出てくる千住の女郎のお熊は借りた金を偽って返さず、更に問われると傷害まで起こして西念坊主を追い払おうとする。
自分の店に飲みに来た年寄りが忘れた財布を返さず、老人を死に追いやる「もう半分」の夫婦。
「付き馬」の男はさんざ飲み食い、女遊びをしたあげく付き馬できた若い衆をまいてしまう詐欺野郎だ。
「突き落し」ではこれが複数犯の仕業となる。
「居残り佐平次」居残りを渡世の業として、楼主から大金を取って行く恐喝と詐欺の常習犯である。
「らくだ」ではらくだの兄貴分と称する男が屑屋を使って大家と店子からあくどく金、肴を脅し取る。
贋金遣いの一歩手前と言うのが「星野屋」の主人、女の本心を試そうとして持参した金を贋と言ったり、本物と言ったり下手すると御用になる恐れがある。
「黄金餅」では西念坊主が飲み込んだ金を手に入れるため、死体を焼き場に運んだ後遺骨のなかから金を盗み出し、これを元手に餅やを開いて当たったと言う悪行をものともしない噺。

 これらの他、悪い事をやろうとした噺はたくさんある。
・家屋侵入、泥棒――だくだく、花色木綿、締め込み、穴泥、もぐら泥、眼鏡泥、出来心と間抜け泥(この二つは中身は同じ)。
・掏り――永代橋、文七元結(文七は盗まれたと思ったが忘れたに過ぎないが、当時掏りが多かった事を示している)。甲府い。
・強盗――転宅(強盗に入ったが逆に女に金をかすめ取られる)、鈴が森。
・追剥――小間物屋政談の小四郎が助けた大店若挟屋の主人が箱根でやられる。誰やらの   旅の噺に女の道中は雲助や胡麻の灰に襲われてしまい、金品どころか乱暴され挙げ句の果ては宿場女郎に売り飛ばされるようなこともあったと言う。
・詐欺――付き馬、居残り佐平次、初音の鼓、突き落し
・恐喝――らくだ、万病円の武士
・横領――鹿政談の守役、百川(つい金に苦しくて四神旗を質入して使った。当時はよくあったとか)
・無届け営業――大工調べの大家
等々いろいろある。

 このように噺では悪い行為を題材としたものが多々あるが、江戸時代は太平の世の内にも悪がはびこっていたと言うことを示しているが、幕府や各藩の公権力もなかなか及び難く、小さい悪は見過ごされていたのではないだろうか。今でも形を変えた犯罪が横行しており、インターネットを利用した詐欺やピッキングによる泥棒等々枚挙に暇がない。

 しかし、この様な悪のはなしを笑いの種にして、しかも単なる笑い噺でなく世に反省と警告を与えるものとして残されていると言うことは我々の今の生活の指針にもなるのではないだろうか。

平成15年5月

posted by ひろば at 06:19| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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