2003年10月01日

【031】寿限無(鈴木和雄)

私の落語の入口となったのは「寿限無」であった。小さな子供の頃、父が夜、寝床の中でよく桃太郎や金太郎の話をしてくれたが、時々父が奇席で聞いて来たのであろう「寿限無」の話を聞かせてくれた。 これを聞いて寝床の中で父と共にけらけら笑ってそれが済むと寝入ったらしい。 しかし、「寿限無」の名前の全部を父も知っていたわけではなく適当に端折って話していたらしく、大きくなって「寿限無」全体の名を聞いて、噺の面白さに益々魅かれたのである。

「寿限無寿限無五劫の擦り切れず海砂利水魚の水行末、雲行末、風来末、食う寝る所に住む所、やぶら小道、ぶら小道、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピー、ポンポコピーの長久命の長助」とその意味は判らなかったが少しずつ覚えていったものである。

社会に出てから友人の会社の寮に行ったとき、その友人の会社の人が私達の酒席に同席して酔うほどに、この「寿限無」の名前を箸でお膳を叩きながら調子良く唱え始めた。二三回同じことをやっている内、次は「孝行糖」の与太郎の飴売りの台詞、次に「金明竹」の使い人の口上を調子良くやったのには驚いた。そして最後に「ガマの油」の口上をやると言う具合で、なんて落語が好きな人なんだろう、またよく覚えたなと感心するばかりであった。

この「寿限無」の名は米朝さんの「四集・上方落語ノート」によれば、お経の「無量寿経」にある言葉だそうだ。 この長い名前と同じ形の噺が上方落語の「長名(ながな)」にあるそうだが「あにまにままに(この間仮名で125字)−万太郎」という名前だそうで、これも米朝さんの上記の書によれば法華経の「陀羅尼神呪」からとられたものであろうと推察されている。

この「寿限無」の話、今年の朝日新聞の「天声人語」に同じような長い名前の人がいたと言う実際の話が出ていた。姓のつぎに十二支全部の字を書き、最後に太郎という名前の男の人、姓の後にいろは四十二字を付け最後に子を付けた女の人がいたそうで「寿限無」と最後の「す」だけにして「いす子」と言ったという。 もう一人長名の女の人がいて、しかもこの人は今も91歳で実在しているという記事が後日の朝日の同じ欄に出ていたがこの人は長い名の最後の「千代子」だけとして改名したという。「寿限無」だって落語だからあんな長い名前を呼んだり、呼ばれたりしたのだろうが、本当だったらやはり「じゅげむちゃん」とか「長助」とか呼んだのだろう。

人の名前を付けるには簡潔にしかも間違えなく他の人と区別出来るようにするのが名付人の義務であり、責任である。しかし、「寿限無」のような名前はこのような必要な条件を外れている。 「落語のレトリック」の野村雅昭氏によれば「常識に対する反則」を冒した名付け方法と言っている。


平成15年10月
posted by ひろば at 06:23| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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