2003年12月01日

【033】忠臣蔵の噺(鈴木和雄)

今でもそうだが年の瀬の12月を迎える頃になると忠臣蔵の古い映画やTVドラマが放映されるようになる。実際に12月14日は大石内蔵助以下46人の赤穂浪士が主君浅野内匠頭の仇として本所松坂町の吉良上野介の屋敷に乱入し、上野介の首を討ち取った日だが、芝居はそんな時期を狙って上演されたようであるが、昔はやれば必ず当たる芝居として何時でも各芝居小屋で演じられていたという。

昔は今のような電灯がないから芝居は早朝に始まり、夕方までしか上演されず一日がかりの芝居見物となり、芝居小屋に行けるものはある程度の生活に余裕の有るものしか行かれず、奉公人などはなかなか行けなかったという。それでも落語に出てくる小僧のように芝居好きなものは誰かに連れて行って貰うか、小遣いを貯めて立見席から一幕だけ見るとかでなんとか楽しみを得ていたようである。 でも忠臣蔵は評判がいいから、一般の人達のために落語では忠臣蔵の芝居の極かいつまんだ噺ながら各段にわたって芝居の粗筋を笑いを含めてまとめ、噺を聞く人達に提供していたようである。

私自身についても実録の忠臣蔵については沢山の本を読んで認識しているが、芝居の方の「仮名手本忠臣蔵」については今まで芝居そのものは見たことが無く、落語を通して粗筋を知る程度である。

忠臣蔵の芝居は一段目から十一段目まであるが私達が噺でよく聞くのはその内の「四段目」「五段目」「七段目」「九段目」であるが、その他の噺にも芝居の各段を語っているものが沢山ある。しかし、このナンバーの付いている段のようにはっきり段数を示していないから忠臣蔵のどの部分か良く判らない。 昔は芝居が皆によく判っていたから噺を聞いてすぐ判り笑いを起こしていたらしい。

「落語仮名手本忠臣蔵」というCDが日本クラウンから出ていて忠臣蔵に関係のある噺が集められている。これを聞くとこんな噺も忠臣蔵に関わりがあるものとして演じられていたのかと判る。

前記のナンバーの付いている段でよく聞くのは「四段目」で芝居の好きな小僧が使いの帰りにサボって芝居見物をしていて帰りが遅くなり蔵に入れられる噺で上方では「蔵丁稚」の別名がある。 「五段目」は定九郎に扮した若旦那が与市兵衛から奪った財布を口にくわえ見栄を切るが、鉄砲に撃たれる。小道具係のへまで音が鳴らない。じれた若旦那は口に含んでいた血糊いりの卵の殻を潰してしまい、口から血が出てしまう。

「六段目」勘平が腹を切る場面で原、千崎の二人が起請文を勘平に見せようとするが、起請文を忘れてしまい、勘平は切ったはらわた抱えてどうする、どうする。

「七段目」芝居狂の若旦那が怒った親父さんに二階にあげられてしまう。そこへ芝居好きな小僧が上がってきて若旦那と芝居の真似を始めるが、真剣を振り回すので小僧は二階から落ちてしまい心配する旦那に七段目から落ちたという。

「九段目」は店の祝いに忠臣蔵九段目をやることになったが、当日立役者が風邪で来られず、代役に近所の医者を頼んだが、芝居は下手だし鼻血を出したり、観客と掛け合いをしたりで芝居は滅茶苦茶になる。

露の五郎さんの演じた「村芝居」は村で素人芝居をやることになったが、何も判らず江戸の端役者に出演と指導を頼み忠臣蔵の「一段目(大序)」を演じることになった。ところが小道具を自分達で揃えることになったが、烏帽子の張りぼてを作り干しておいたのが、中に蜂が入ってしまい、これが芝居の最中に暴れだす。

「芝居風呂」は「二段目」に関連するというが芝居の好きな風呂屋が自分の風呂屋を芝居仕立てにして客を入れるが、客も好きな連中でそのうち立ち回りが始まり客が慌てて出て行こうとし、自分の着物は何処だと問うと「二段目じゃ」と答えるというもの。 

「三段目」では「紙屑屋」「質屋芝居」があり、「紙屑屋」では若旦那が仕事の最中に読む義太夫本が三段目であり、「質屋芝居」は質屋に自分の質物である上下を請けに行ったら蔵の中で小僧も番頭も上下をネタに二段目の芝居をやっているというもの。

「四段目」は先のナンバーの噺のほかに有名なのは「淀五郎」で、未だ相中の役者が抜擢されて四段目で切腹をする判官の役をやることになるが、座頭の団蔵に気にいって貰えず苦労する役者の芸物語である。このほか上方で「小倉舟」(龍宮界龍の都)という噺もあると聞く。

「五段目」は皆さんが見慣れた段なのでナンバーのほか、「辻八卦」という町の辻占いが芝居好きな客に頼まれて定九郎や勘平の生まれ変わりの姿を占うが、由良之助はと問われ「未だ誕生仕りませぬ」という。

「軒付け」は五段目をやっとあげた男が鰻の茶漬けの話に誘われて軒付けに行く噺。

「能狂言」は殿様に命じられた能狂言など知らない家中の面々が旅回りの噺家に頼むが、彼らとて一度見ただけでごまかしで「五段目」もどきをやるが、親父を切り殺して五十両を奪い「この金で女郎を買いに参ろう」というと別の奴が「やるまいぞ、やるまいぞ」と言って楽屋に引っ込むというもの。

「二八義太夫」は山崎街道で猪がでるが義太夫で唸る台詞に猪を言わねばならないが、猪の言葉を忘れるので四掛ける四は十六だからと言って芝居のときに十六といってやると、唸っていた男は二の算から始め二八だという。

「中村仲蔵」は「五段目」で斧定九郎を割当てられ、何とかして新しい定九郎像を出そうとして苦労する噺だ。

正蔵さんの演じた「村芝居」は権助が定九郎をやるが、病で頭がくりくり坊主。そこで糸屑やもぐさで代用の髪を作り舞台に出るが、勘平役者がやたらに鉄砲を振り回すので髪に火が移り助けを求めるというもの。

「田舎芝居」は江戸の大根役者が田舎で四段目の演技指導をする。判官が腹に刀を突くのを合図に諸士が出てくる手筈になっていたが、なかなか出てこない。そこで「諸士」と呼んだら側にいた若者が「しし」と聞き違え、猪の扮装で出てきてしまった。「五段目」に出てくる猪が早く出てきたので客はびっくりする。

「六段目」ではナンバーのほか、「方袖」があるという。一見余裕のあるような生活をしているが実は墓荒らしの男、ある家の娘が死んだと聞いて早速墓に行って、遺体から着物の方袖を剥ぎ取りその家に行って、高野山への供養金等計百両をかたり取る。これを見ていた番頭が三味線に合わせて六段目の浄瑠璃をかたる。「鹿政談」も最後の方で「南無三宝、薬はなきやと懐中を」と六段目の台詞を言うので関わりがあるという。

「七段目」は階段の七段目から小僧が落ちる噺のほか、「おちゃるか」という噺があるそうだが聞いたことがない。露の五郎さんの噺で天で忠臣蔵をやると雷がお軽、地震が由良之助で、由良之助が手紙を読んでいると、お軽が上からそれを読み、簪(かんざし)を落としてしまう。地震が地を揺らすのを「ゆらしゃるか(由良さんか)」にかけて、由良之助が下から上を見て「おちゃるか(お軽か)」という。「権助芝居」は権助が役もめで居なくなった人の後を継いで舞台に出るが立ち回りで縄を掛けられ客にからかわれ、手を離す所作をした為、本当に縛られてしまい、誰に頼まれたと言われ、番頭に一分で頼まれたと白状する「一分茶屋」の別名がある。

「八段目」にはあまりいい噺がないそうだ。
「九段目」は先に述べたナンバーのものだけ。

「十段目」に「天河屋義平」というのがある。ただしこれは講談のような立派な話でなく、由良之助が天河屋の女房に言い寄り、江戸へ行く前夜に女房の部屋に行こうとする。女房は亭主と相談し、部屋を入れ換えてしまう。それとは知らず由良之助は部屋に忍び込み、女を抱こうとすると亭主は「天河屋は男でござる」というだらしない噺になっている。

「十一段目」は「山岡角兵衛」がある。角兵衛の娘お縫は一党に入れず死んだ父の遺言を守り、吉良邸に入り大石に情報を送る。討ち入りになった時、浪士の一人が吉良方の侍にやられそうな時にお縫がこれを助け自分が刺される所をひっくりかえって命拾いをする。お縫は角兵衛の娘だった。

この他、円楽さんの演じた「赤垣源蔵」、露の五郎さんの「萱野三平考」、「義士大根」があるが、これは芝居から離れている噺だ。更に「大高源五」「神崎与五郎」の噺もあるようだが聞いたことがない。また「由良之助」の噺もあるそうだがバレ噺だそうだ。

忠臣蔵に係わる噺として取り上げてみたが、江戸の大舞台で演じられたものの説明は少なく、中村仲蔵や淀五郎のように演技に苦労した名人の話は別として、いずれも素人芝居の失敗談やそれにまつわる話で筋そのものは昔は皆知っていたから、それを滑稽的に取り上げた噺として纏め上げられたのであろう。今でも芝居好き、嫌いに係わらず「只今参上」とか「遅かりし由良之助」とか「未だ参上仕りませぬ」なんて言う人がいるが、それだけ日本人の心に忠臣蔵が染み付いていると言うことなのかもしれない。


平成15年12月
posted by ひろば at 06:25| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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