2004年03月01日

【036】一八さん、久三さん(鈴木和雄)

先日、新聞のラジオ欄に出ている落語番組で演者の名前は出ていたが、演目が判らないので、その放送局の案内担当者に電話して問い合わせた所、女性の担当者はすぐ番組を探して教えてくれた。「○○さんの落語は、"なんとか腹"とありますが、何と読むのでしょう」と言う。私はその演者がやる"なんとか腹"は"たいこ腹"とすぐ気がついて「"幇間腹"と書いてあるでしょう、"たいこ腹"と読むのですよ」と言うと彼女は「あ、そうですか、有り難うございます」と言ったので、こちらも「有り難うございます」と言って電話は終わった。しかし、後で私はやはり「幇間腹」は「ほうかん腹」と読んだ方が良かったのではないかと気がついた。幇間を太鼓持ちと言うのはその意味を言うので「幇間腹」は「たいこ腹」と読ませるのは一寸無理があったのではないかと思ったものである。

「辞苑」によると幇間とは「太鼓持ち」とも言い「客に従い遊興を助ける者、男芸者とも言う」とある。しからば太鼓持ちはと新明解国語辞典を開けば、殆ど同じ意味で「酒宴の席でおもしろ、おかしいことを言ったり、芸事の真似や余興をしたりして客と芸者の間を取り持つ事を職業とする男」とある。これで幇間と太鼓持ちとは同義語であることが判ったが、どうして幇間と言う字が使われ、また、太鼓持ちという語が使われたのだろう。

幇間の「幇」の字は漢和辞典によれば「側に居て助ける」と言う意味があると言う。そうすると幇間は酒間にあって客の側で遊ぶのを助けるからそう名づけたのだろうか。また、太鼓持ちは「日本語語源辞典-堀井令以知編」によれば「紀州雑賀踊り」で、かね(鉦)を持たない者は太鼓を持つ所から宴会の席で金を持たない者が金を持つ客の機嫌をとる者を太鼓持ちと言ったと言う説があるそうな。

今はこの幇間は居なくなったと言う話だが少し前は幽玄亭玉介さんとか桜川善平さんという人達がいて時々TVでお座敷芸を披露してくれた今はもうそれも見られない。
かつて今の円蔵さんが二つ目の頃、仕事が無くて同僚と計らい、よいしょクラブなるものをつくり客をつかまえて、よいしょをやりまくったと言っていた。また、志ん駒さんがよいしょを旨として「芸は三流、食い物一流、付き合う相手は超一流、よいしょ六段」と称していたが、これとても本当の幇間とは芸の裏打ちがある無いで随分違うものだったのだろう。

落語に出てくる幇間には色々ある事はご存知の通り。
「鰻の幇間」「幇間腹」「富久」「つるつる」「愛宕山」「王子の幇間」「干物箱」「鶴満寺」等、まだあるかも判らない。
文楽さんが言っている。「太鼓持ち上げての末の太鼓持ち」と。太鼓持ちをあげて遊んだ若旦那が浪費の末、親から勘当されて自分が太鼓持ちに落ちていくと言うことだ。やはり悲しい職なのかも知れない。

幇間はいつも客の懐をあてにして生活できるものとばかり言えない。「鰻の幇間」では半八さんが、逆に客とふんだ男に手玉に取られて、鰻屋に自費を出さねばならない羽目となり泣き言を言っている。

「幇間腹」の一八さんは一両と羽織に釣られて若旦那に鍼をうたせるが、とんだ計算違いでお腹に傷をつけられて泣いている。

「つるつる」の一八さんも旦那と同じ郷里から出てきたが、一方は成功して旦那となり、片方は幇間になり、旦那にすがって生きていて、時には見捨てないでくれと懇願している有様だから、無理強いする旦那に抗する事ができない。四年半も岡惚れした、はかない女の心情を信じたが、旦那の計画に引っ掛かり、朝げの席に褌一つで降りてきて大変な恥をかいて井戸替えの夢を見ていたなぞと言い訳をしなければならない始末だ。

「愛宕山」の一八さんは「大欲は無欲に似たり」と言う言葉そのままに身の危険を顧みず谷底に降りたはいいが、結局金を持ってくることを忘れると言うドジをする。

「富久」の久三さんは最後は富籤に当たり大喜びをするがそれまでにあちこちの旦那をしくじっており、生活も儘ならない稼ぎだったがこれで一安心となるか、まだ先が思いやられる。

「干物箱」のむら善さんは若旦那の声色を真似て上手い所までいったが、生来のおこりん坊のために若旦那の部屋で親父さんに見つかりドジをする役立たずの男だ。

「王子の幇間」の平助さんは他人がいないとその人の悪口を言って歩き、最後に一計を案じた夫婦によって懲らしめられるおっちょこちょいな奴だ。

「鶴満寺」の一八さんは余り旦那におもねず、花見をしたい旦那の意を受けて、適当な袖の下を寺男に渡して花見をしたり、酒を欲しがる寺男に飲ませたり、住職の帰ってくる前にさあっと引き上げてくる機転のきく男だ。

幇間は皆旦那におべっかを言い、その言う通りに協調性ばかりに気を使っているが、彼らの生活は大笑いや酒だけのものでなく、ペーソスを伴ったもので、表面的にはいろいろ笑わせてくれるが、しんは辛い部分が多いので、何か私達サラリーマンの生活に重なる部分もある。いやに上司との協調性ばかり重んじ、やれ鞄を持ちましょう、肩を揉みましょうとすりよって行き、酒席でも上司べったりで、同僚とはあまり付き合わない奴がいる。皆から白い目で見られても平気だ。そんなに仕事は出来ないのにゴマすりが効いてか割合順調に昇って行く奴がいる。しかし、いざと言うときにどんでん返しを食らい一頓挫するのがいる。だから一八さんや久三さんの噺を聞いてもしんみりしてしまう所がある。

平成16年3月
posted by ひろば at 06:30| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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