2004年06月01日

【039】提灯は懐かしい(鈴木和雄)

東京の新宿、渋谷の午前二時、所謂丑三つ時は煌々たるライトとネオンに照らされて昼かと見紛う程の明るさである。これも電気のお陰であるが、江戸時代の人達がこんな光景を見たらびっくりしたことであろう。

当時の生活は夜は家では行灯(あんどん)、外を歩く時は提灯(ちょうちん)しかなかった時であるから、油や蝋燭(ろうそく)の手に入らない人達は日が昇れば起きて働き、日が沈めば寝ると言う生活だったのだろう。

しかし、夜に活動する人達もいた。そのため灯火は必需品だった。その昔は松明(たいまつ)が照明の唯一の用具だった。外ではよくTVの時代劇で見るようにかがり火をたくシーンがあるが、移動するときや室内では松明を焚いて明かりを取ったのだと言う。そのため人の集まる室内でも松明を持って侍る人がいて、彼はいつも予備の松明を持ち、灯火の絶えぬようにする照明係だった。

そのうち行灯が出てくる。行灯とはそもそも携帯できる照明器具で、木の枠で作った直方体の底に石皿の油入れを置き、底に芯を入れて火を付けるものだった。「行く灯」というのがそれを表しているという。

それが江戸の初期に小堀遠州が遠州行灯というのを考え、室内にも置ける行灯として使われるようになり、明治になってもこの行灯が使われていた地方があったという。

一方、中国から割合早い時代に蝋燭が渡ってきており、奈良時代には既に宮廷や寺社では使っていたという。このころはまだ蜂の蜜蝋から作られた蝋燭で大変高価なもので、一般には使われてなかったが、戦国期になると漆や櫨の実から採った木蝋が用いられるようになり普及し始め室内では裸で灯されていた。このため、燭台が色々考えられ、形の凝ったものが現われているが、居室や寝室などにも据えられ、また家の壁、柱にも設けられて室内の照明に使われていた。

灯火が外で使われる為には行灯と同じように風雨を防ぐ必要があり、戦国期には籠提灯と言って竹籠に紙を張ったものに蝋燭を入れて照明とした。そして江戸期の初めになると竹ひごを丸く巻いて折り畳めるような形になったという。

江戸は最盛期には100万都市になったといわれているが、郭のある場所のように盛り場では夜は辻行灯があって、少しは明るいが、一般の道路は満月を挟む数日間はいいが新月の夜や曇天、雨天の夜は鼻をつままれても判らないほどの暗さだった。

このため外出に提灯は欠かせない。行灯の時は手提行灯というものを使ったが、やはり提灯のほうが行動的で、武士などが所用などで外に行かざるを得ないときは供のものに提灯を持たせて、足元を照らさせて歩かねばならなかった。町人にしても大店の旦那などは権助風の提灯持ちを連れなければ外出することはなかったようだ。

このように提灯は夜の必需品であるから、落語でも色々な場面で話されている。

提灯の種類については噺の「提灯屋」の中で各種の提灯が取り上げられている。小さん師は「提灯屋」で字の読めない連中が隠居にチラシの文面を読んでもらって、提灯屋に行き変な家紋を頼み、描けないと知ると店の提灯をただで貰ってきてしまうことを話している。

その提灯が「弓張提灯、馬上提灯、高張提灯、手丸提灯、ぶら提灯、岐阜提灯」といっている。万有百科事典によれば、提灯にはこれらの他、「筥(箱)提灯、小田原提灯、ほおずき提灯、忍び提灯、釣提灯、団子提灯、魚脳提灯、がん灯(提灯)、白張提灯」があるという。

提灯は室町時代に使われ始めたといわれている。始めは現在のように竹ひごを丸く巻いて紙を折り畳めるようなものでなく、竹籠に紙を張ったもので籠提灯だったので、折り畳みは出来なかった。

文禄年間になると、筥提灯が現れ、これに竹ひごが使われ、丸く巻いて紙を張り、折り畳みが出来るようになった。しかも大型の筥提灯が現れて紙面に家の定紋等を描くことができ、吉原の遊郭などでも使われ、大筥提灯とか看板提灯とか呼ばれた。

弓張提灯は竹を弓状に曲げ、その張力で提灯を張り広げて安定させることが出来、武士や火消し、御用聞きなど動きの活発な人達に使われた。

馬上提灯は馬乗り提灯とも言われ、馬に乗る武士が使ったもので馬に乗った時に鯨の髭の長い柄を腰にさす丸提灯だ。

高張提灯は長い竿の上部に高く掲げる弓張提灯で、値段的に最高の値だったという。

手丸提灯は丸い形の弓張提灯。

ぶら提灯は球形またはなつめ形のもので柄をつけてぶら下げて歩いたのでこの名がついたようだ。

岐阜提灯は細骨に薄紙を張り花鳥草木を描いたもので盆提灯として仏前などに供えられた。

白張提灯はお盆用に使われた。

小田原提灯は小型で細長く、不用の時は畳んで腰に挿せたという。この為りょにん提灯とも呼ばれ、旅に際して折畳んで持っていけることから懐提灯とも言われた。

ほおずき提灯は赤紙を張った球形の提灯で祭礼用に使われた。

忍び提灯は貴人の使用に忍んで用いられた替え紋の提灯。

釣提灯は軒下に吊り下げて御神灯に使われた。

団子提灯は団子形の小型の提灯で屋根船などに使われたという。

魚脳提灯は魚の頭蓋骨を叩いて平らにすると半透明なものができるが、それを提灯につけて火覆いとして使ったもの。

がん灯はよくTVなどで見るような忍びや捕り物で使われていた銅製の相手だけを照らす懐中電灯のようなものだ。

これらの提灯が噺の中でどのように登場するかは、噺そのものの中で説明されることはないからあまりよく判らないが、先に述べた「提灯屋」では提灯そのものの名は挙げられているが、使い方は話されていないから貰って行った連中がどのように使ったのだろうか。

「権助提灯」では旦那がお妾さんの家に行くときに提灯を持って付いていく。この提灯がぶら提灯か手丸提灯か判らない。

「寝床」に出てくる提灯屋は旦那の浄瑠璃のお誘いに「客の開業式の為にほおずき提灯を5束50ばかり注文を受け、手を真っ赤にして働いている」と報告されている。

「花筏」の提灯屋は商売だから各種の提灯を作っていただろうが、その儲けは一日一分だと相撲の親方に話している。倍の二分出すからといわれて助平根性を出した為、土俵に登らざるを得ない羽目になる。

「道潅」では噺の終わりの方で提灯を借りに来る男がいるが、これはぶら提灯か手丸提灯か、あるいは小田原提灯か。

「田能久」で夜の山道を茶屋の主人の忠告を無視して登っていくことを強行する久兵衛は旅人だから小田原提灯か手丸提灯を持っていく。

「反対車」で始め乗った人力車に付いていた提灯は車夫が「お稲荷さんの奉納提灯を持ってきた」といっているから高張提灯か弓張提灯であろう。だから梶棒を高く上げないと引きずってしまうといっている。

「按摩の提灯」では按摩が目明きの衝突避けに提灯を持っていなければいけないと言うだから、ぶら提灯か手丸提灯であろう。

「掛取り」の噺の中で「大晦日筥提灯は怖くない」という川柳を紹介し、筥提灯は武士が使ったもので普段は筥提灯を見れば、無礼打ちなどをやられる恐れがあるから怖いと思ったりするが、この日ばかりは掛け取りの人が持つ提灯の方が恐ろしいことを示していたようだ。

「二番煎じ」や「市助酒」で火の用心の夜廻りに出る人達が持っていたであろう提灯については語られていないが、恐らく弓張提灯か手丸提灯であろう。

「掛け取り」に大晦日に回る場bb等、手代たちの持つちょうちんも同じような提灯であろう。

「味噌蔵」「二丁蝋燭」で旦那に付いて奥さんの実家に行く小僧が持って行った提灯はぶら提灯か手丸提灯であろう。

「牡丹灯篭」でお露を道案内する婆やが持っていたのは白張提灯か。

これらに比べ行灯の噺は「ろくろ首」で夜中に首の伸びる嫁さんの話と「茶金」に出てくる油屋の話だ。当時油屋は行灯用の油を売っていたと説明されている。

あと「首提灯」と言う話があるが、これは本当の首を提灯のように掲げて火事場に駆けつけたと言うからちょっと違う噺だ。

今私たちは電力会社から配給されている電気をそれぞれの器具を使って照明にしたり、熱にしたり、通信、計数に使っていたりしているが、昔は各人がそれぞれの灯火を求めて苦労をしていたのだろう。

ことに貧富の差の激しい当時は有り余る燭台に灯を灯して夜を楽しく過ごす連中がいるかと思うと、行灯の灯もなく、囲炉裏の火を明かりとして生活する家族もあったと言う。焚き火の火、かがり火、松明、行灯、提灯、ランプ灯、ガス灯、電灯と人の生活は光なくして成り立たない。

今の私たちの暮らしは江戸時代と比べれば何と豊かな火を持って生きていることか。まだまだ原子力、風力、太陽光と発展することであろう。しかし夜は無くさないで欲しい。落語をしみじみ聞くのは夜に限るからだ。

平成16年6月
posted by ひろば at 06:33| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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