2004年09月01日

【042】旅に行きたい(鈴木和雄)

先日北海道の道東の旅に行ってきました。丁度緑が盛んに映える時期で、広大な原野を一本の道が果てるとも無く、真っ直ぐに続く所を走るのは爽快でした。オホーツクの海が眺められる海岸では冬の最中には流氷が押し寄せる様子がガイドさんから説明され、北海道の冬の厳しさを今更ながら想像させられました。この大地とオホーツクの海になにやら日頃の気分が解放されたような感じがしました。

 昔も今も人は旅に行きたいと思っている。 今は割合気楽に出かけられるが、昔の人は何らかの理屈を付けなければ出掛けられなかった。 やれ何処其処の寺参りとか神社詣でとかであるが、その著名なひとつが四国八十八ヶ所参りであったのであろうか。

 寺社参りというと信心半分、遊び半分の旅で、景色のいい所を巡り、夜は旅籠に泊まり、温泉に浸かり、酒食で心も体もリラックスさせ、また明日の旅をするための活力をつけておくのが昔の旅の有様だったのではなかったろうか。

 そもそも江戸時代の初めは簡単に人が移動できる基盤が無かった。各地方はそれぞれの藩が割拠していてその藩地の出入さえ、厳重な関所が設けられ、厳しく制限されていたので、庶民などはおいそれと簡単に旅に出ることはできず、ましてや遠くの寺社参りや温泉保養に行くことは不可能だったのである。そして、まだ世情が安定しないときはそれぞれの藩の厳しい年貢の取立てなどがあり、これに抗する農民などの逃散などがあり、藩内の人口が減ってしまう事を恐れて、人の出入りを厳重に管理したため、旅などに勝手に出ることは禁じられていたのである。

 しかし、元禄以降の安定期になると、人の移動も制限つきながら認められ、町役人である大家の鑑札があれば、関所も容易に通ることが出来、人々は旅に出ることが出来るようになった。 だが、これも目的がはっきりしていなければならず、単なる観光や温泉行きはだめで、そうゆう場合は伊勢参りとか大山詣りとか、何かの寺社への参詣目的が主体とならなければならなかった。

 人は何時の時代も旅に出たがる。そのための貯金までし、昔は寺社参りには「講」という組織があり、金が貯まると順番に旅に行くことが出来た。 何故こんなにまでして人は旅に行こうとするのか。「落語における江戸の旅文化」の宮田登氏によると「人は時として非日常を求めるため」という。そして、そのため「異界を見て経験したいという欲望がある」という。

 確かに人は今でも朝起きて、食事をして仕事に行き、帰ってきて夕食をとり、家族団欒をしたり、読書をして寝るという事を一年中やっている。時には友人と酒を酌み交わし、大騒ぎをしたり、映画を見に行ったり、子供と遊園地に行ったり、釣りをしたりと少しばかり日常生活に変化をつけようとするが、昔は現在のような娯楽施設は無く、時々巡ってくる田舎芝居や見世物小屋とかを見に行くぐらいで、気分の発散にはならない。男は時によると廓などという異界に足を突っ込み、非日常性をあじわうこともあったが、女子供にはそれは出来ない。

 それで人は旅に出たがる。 旅ほど人の心を開放してくれるものは無い。海を見たことの無い地方の人が海の在るところに旅をすれば、青々とした海原、遥かなる水平線、岩間に寄せる波の砕け散る様を見て、心が広々する感じがし、また、都会の人が山に行けば、登る苦労はあるが、頂上に着いた時の眼下に見下ろす緑の山なみに心が開放されるのを覚えるであろう。 昔は更に寺社に参詣する人たちはその建物の神々しさと立派さに感動したり、人の多さに驚いたのだろう。
 
 落語でも旅を扱う噺は多い。それも主として庶民の旅である。
噺の旅は「二人旅」「三人旅」のように、ずばり旅そのものを語るものもあり、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」を彷彿させるものがある。

 旅は苦楽が伴うものであるが、噺のまくらで語られるのに、昔は殊に女の人にとっては旅は大変なものだったという。道中には護摩の灰がいたり、たちの悪い雲助が待ち構えていたり、懐を狙う掏りやかどわかしが居て、常に自分の身の回りを気をつけていなければならない緊張の連続だったようだ。 男にとっても安宿で美人局に会ったり、道中の廓で遊びすぎて無一文になり、「こんにゃく問答」や「八五郎坊主」の二人連れのように古寺に居候する始末になりかねないのもでてくる。

 「小間物屋政談」に出てくる大店の小間物屋の旦那は箱根の山中で強盗にあい、身ぐるみ剥がされて、小四郎に助けられるが、結局は小田原の旅籠で命を落としてしまう。一方小四郎はこの親切が認められ、一時は自分のかみさんを取られてがっかりするが、奉行の計らいで大店の旦那の後家さんと再婚でき、大旦那に出世するという旅が取り持つ良い噺だ。

 円生さんや三木助さんの演じた「お神酒徳利」の番頭の善六はかみさんの機転でうまく徳利が占いで当てたように装ったが、あと鴻池の番頭と共に大阪まで旅をする。立派な金子元がついているから安心の旅だが、途中でも、偽占いが見つからないうちに旅籠の失せ物を見事解決することが出来、大阪でも鴻池の娘御の病を治すことが出来、全く往きはびくびく、はらはらの旅だったが、終わって見れば楽しいものだったのだろう。

 その逆に「死神」に呪文を教わった男が成功に気をよくし、女を連れて上方旅行に行き、帰りは無一文で帰って来る旅は、まさしく往きはよいよい、帰りは怖いの喩の通りの噺だ。

 「大山参り」も暴れん坊の熊公は何時ものように酔って暴れ、坊主にされ、その仕返しに早く家に帰ってきて、一緒に旅に出た連中のかみさんを坊主にしてしまい、同行者から袋たたきにあう。 「七度狐」は道中、何回も狐に騙される噺で、こんな旅はしたくないものだ。

 小三治さんの演じた噺に見世物に使う化け物を探しに行って「一眼国」に入り込んでしまい、たまたま会った子供を捉えようとして、かえってそこの大人たちに「二眼」のお化けとして捕らえられるという旅はどうみてもしたくない旅だ。

 談志さんの「鉄拐」は苦労した旅だが、妙な鉄拐仙人と会い、江戸に連れてきて、店の記念祝賀会で余興として、仙術をやってもらい、旦那に褒められるというのは旅のし甲斐があるというものだ。

 名人の旅の噺は楽しく聞くことが出来る。「竹の水仙」「ねずみ」「三井の大黒」は左甚五郎の旅の最中に起こった噺だが、いづれも旅の途中で接する人達に幸せを送ってくれる。「抜け雀」の親子の画家も貧乏旅籠に一幅の画を残してくれ、旅籠の夫婦に大金を送っている。 西行の旅は「鼓が滝」や那智の滝で歌を詠んだりして諸国を行脚している。

また、空海の弘法大師は「大師の杵」を残して川崎大師の基を作ったり、円生さんの噺「蝦蟇の油」で「見世物小屋」の中に出てくる石芋のように四国のある地方に善行を施したりし、布教の為の旅をしながら、道路を作ったり、橋をかけたり、灌漑用の池を設けたりしている。

 「鰍沢」の新助は身延山参りに来て、吹雪に迷い、やっと見つけた民家に泊めてもらうが、持っていた金に目が眩んだお熊に命を狙われ、お題目のお陰で命拾いをするという壮絶な旅をしている。「七度狐」のように狐に騙される旅とは反対に「紋三郎稲荷」の噺のように旅の途中で狐に間違えられた武士がお稲荷さんの遣い姫として丁重にあつかわれる噺もあり、また「田能久」の役者のように夜中の山中を旅し、狸に勘違いをされ、大金持ちになるという景気のいい旅もある。

 旅に旅籠は必要なものだが、その宿で大嘘つきの男がなけなしの金をはたいて買った富籤が当たって、本人は勿論、旅籠の主人も大喜びをする「宿屋の富」、一方「宿屋の仇討ち」では旅に出て、一日中歩き通して、やっと宿に着いて、酒と女で開放感を味わおうとした矢先、隣の侍に邪魔をされ、寝ることも出来ない情けない一夜を過ごす三人組、こんな旅はちっとも楽しくないのだろう。

 円歌さんの「電報違い」、旅に出た先で、心中をしようとする若い二人を図らずも助けることとなり、自分達の旅の安全を知らせる電報を家に打ったはいいが、舌足らずのため、受け取った留守宅の方がびっくりしたというものだが、旅に出た方も、留守を守る人も、本当に無事で帰ってくるまでは安心出来ないのが昔の旅である。

 旅の先ではその地方それぞれ、ものの表現方法が異なり、なかなか通じないことがままあるが、小南さんの演じた「貝野村」、談志さんの「勘定板」では朝の洗面用具や用足しの道具に関する言い方が違うので、客も地元の人もまごまごする噺だ。 これは昔も今も同じで、外国に行くとこうゆう経験をすることがよくある。こちらは英語を話している積もりでも、発音が悪いのか少しも通じず、注文したものと違う食べ物が来てしまい、まごまごすることがあるという。

 舟に乗る旅も大変だったようだ。 「三十石船」では夜、大阪を出て京都に向かう船旅で、各人各様の船中の状況が説明されているが、時には船頭に脅かされたり、逆に舟歌に心を慰められたりしている。談志さんの「桑名舟」では渡る途中で鮫が出てきて人質を投げ入れなければならず、怖い思いをする巡礼の親子や、達観して別れの五目講釈をする講釈師のお陰で鮫が去り、難を逃れるという何処までが本当で、何処までが嘘か判らない噺もある。

 嘘の噺と言えば「弥次郎」は旅で出会った話を針小棒大にする噺だが、北海道に行って火事の炎が凍ることや、猪の雄も雌もごったくたに話す弥次郎の噺は聞く人皆が信じることがないから、余計に面白い。よく噺家の話すのを感心して納得して仕舞う人がいるが、これにはそれが無い。

 華麗なる嘘と説明される「愛宕山」の噺、上方の人にとっては京都の山だというから、そう大して遠くない山遊びであるが、小朝さんの演じる「愛宕山」は東京から京都まで行く噺である。旦那が芸者、幇間を連れての旅だから賑やかで楽しい旅だったのだろう。しかも、金に糸目をつけないというのがいい。旅先で財布の中が心配になるくらい心細い旅はない。


 落語はこのように旅そのものを題材にしたり、噺の中に取り入れたものが多い。全て毎日過ごしてきた日常の生活とは異なる過ごし方をしなければ成らない。日常の生活ではどうしてもマンネリ化がおきる。そのためイージな過ごし方になっていく。こんな場合人間は欲望があるから、そのマンネリの世界の生活から非日常の世界に飛び出して行きたいと願っていて、機会があれば旅に出ることを考えている。

 しかし、実際に旅に出て見ると、そこには慣れない生活、自分のペースで事が運べない現実に突き当たってしまう。だがそこは自ら求めて来た世界、つまり異界であるから、驚くこと、不思議なこと、理屈に合わないことがあり、景色にしろ、人の行動にしろ目を見張ることばかりである。人はそんな時、絶えず緊張し、行く先々で楽しむと共に驚いたり、恐怖心を持ったりと、心の落ち着く暇が無い。

しかし、こうゆう非日常の生活から戻って家に辿り着いたときに出る台詞は「やっぱり家が一番だ」と言う言葉だそうだ。昇太さんが言うように「そんなに家がいいなら旅に出るな」と言うが、非日常を経験し、異界を見て、始めて日常の生活の暖かいことや心の寛ぎを感じるのであり、安心な世界に戻れたことに安堵するのである。であるから「(旅に)来て嬉し、(家に)帰って嬉し」の気分になるのであろう。

平成16年9月
posted by ひろば at 06:37| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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