2004年10月01日

【043】旅の支度と心得(鈴木和雄)

江戸時代に庶民が旅をすることを許されるようになってから商用以外で観光や温泉治療に行くためには寺社のお参りを名目にして旅の手形を貰って出掛け、旅籠に泊まったり、温泉に入ったりしていたようだ。その寺社参りの用意が、前もって大変だったという。
円生さんの噺に出てくる「大山参り」にしても、旅に出る7日前から両国の水籠り場に行って、身を清めてからでないと出掛けられなかったと言うから旅に行こうと決まった時から苦行の道程が行われていたのであろう。

また、「甲府い」の噺にあるように甲州出の養子が養父母に身延山にお礼参りに行きたいと言って、同意を得て、思い立ったが吉日ですから明日行きますと言っているが、そんなに簡単なものではなかった筈だ。 若夫婦は前から計画を立て、出発前日までに全ての旅支度を整えて、親に話しをしているのであろう。身延山へのお礼参りであるから、それ相当の賽銭を持たねばならないし、自分の実家にも行くのであるから、土産も用意しなければならない。 

更に昔は「江戸の旅」今野信雄著によれば、一般的な旅人が旅に際して持ったものとしては、「着替え用の衣類(下着、下帯、股引、脚絆、足袋、手甲、腰帯、道中羽織)、手拭、鼻紙、矢立、道中案内書、日記帳、心覚え手帳、秤、薬類、大小の風呂敷、提灯、火打道具、蝋燭、懐中付木、針、糸、印判、磁石、算盤、枕、合羽、綱3本(洗濯用と荷造り用)、印籠、巾着、道中笠、煙草道具、脇差」であったそうだ。 このうち、秤と算盤は商人用だそうである。

 こうやって見ると昔も今も旅に出る時、用意するものは、そう変わるものでないことが判る。言葉が変わったに過ぎないものが多々ある。下着はパンツ、矢立はペン等の筆記用具、提灯、火付け道具、蝋燭、付木は懐中電灯とライター、算盤は電卓、合羽はレインコートと折り畳み傘、道中案内書はそのまま旅行ガイドブックになっている。 綱3本は今は国内旅行ではあまり持たないが、外国のホテルに泊まる時は必需品である。 金があればホテルのランドリーに頼めるが、金欠の我々の旅行は、夜シャワーに入った時についでに下着や靴下を洗う努力をしないと、チップばかり取られ、心細い旅行になってしまう。 今持って昔持たないものはカメラ、ビデオカメラ、パソコン、携帯電話、腕時計ぐらいだろうか。

昔は以上の他に草鞋があったのだろう。「崇徳院」に出てくるように、お店の若旦那の惚れた相手の娘を探すことを言い付かった男は旦那の家で腰の周りに草鞋をつけられ、家に帰って女房に話すと、またかみさんに草鞋を追加されて持たされて、江戸市中の娘探しの旅に立たされている。長い旅路に出る人にとって草鞋がくたびれてしまったら、旅は続けられないから、途中で買うにしても、出始めに何足かの草鞋は必需品であったのだろう。

 そして用意万端整ってから、旅立ちの前夜は親戚、知人を呼んで水盃で別れの宴を行い、翌朝、日が昇るか昇らない内に家を出たという。この当日は家族や近所の者が町外れまで送ってくれ、そこで酒を酌み交わして別れたという。
これも国内旅行では今はもう見送りなどは余りやってないが、国際旅行では小規模ながら空港まで旅行者に付いていくのがある。 昔はこのような時に見送り人は旅人に草鞋銭と称して餞別をおくったのだそうだ。そして呑気な奴になると懐が暖かくなったので大きな気になってしまい、藤沢あたりで、飲み食い、飯盛女を相手にして、旅に行く金を使い果たしてしまい、ほうほうの体で江戸に戻ってきたというのが「三人旅」のまくらではなされている。

 さて、これで旅に行くことになるのだが、道中案内書には必ず「道中心得」が載っていて、どんな事に注意をすれば旅が安全にしかも楽しく過ごせるかが記されていた。この心得がまた現代の我々にも通ずるものがあり、昔の人の知恵に感心させられる。
 文化7年(1810)に発行された八隅蘆巻という人の「旅行用心集」には61ヶ条の事が記されているそうであるが、これは現代にも通用するものが多く大変興味があるものである。 その主なるものを取り上げてみると次のようなものがある。

1. 旅の初日は心がはやるから先を急ごうとするが、所々で休むようにしないと、足を痛め、後で困ることになる。

2. 旅籠に着いたら方角を確かめ、家の造りから便所、裏表の出入り口を確認しておけ。火事や盗賊の侵入、喧嘩のあった場合に咄嗟の行動が出来るようにしておくこと。(このあたりは我々も旅館やホテルに着いたら非常口を確認したり、戸口あたりに貼ってある逃げ道マップを調べたりしている。)

3. 寝る前に明日の朝の必需品と不用品を区別して風呂敷に纏めておくこと。(我々も緊急時を想定して、なるべく荷物は纏めて持ち出し安いように努めている。)

4. 不案内の土地で旅籠を選ぶ時はなりたけ家造りが良くて、賑やかな所が良い。多少宿賃が高いが、それだけ得する場合が多い。(我々も大きなホテルの安い部屋に泊まれと教えられている。従業員のサービスが良く、ロビーも大きく、売店も気の効いた店があるという。)

5. 空腹で風呂に入るな。(これは旅行中ばかりで無く、家に居ても空腹で風呂に入ることは駄目だと女房に言われる。まして酒を飲んで長湯をするのは厳禁である。)

6. 急ぐ旅で無かったら夜道は避けること。余裕を持って旅をせよ。(これも昔も今も変わらない。しかし、時間はあっても、金の無いことが問題だ。旅行スケジュールに余裕がないと帰ってきてどっと疲れるものだ。)

7. 道中は色欲を慎め、売女に湿毒あり。(旅の恥は掻き捨てとばかりに、何でも手を出す男がいるが、殊に咋今は誘惑が多いいし、またHIVなどもあり、気を付けるに越したことは無い。)

8. 道中で道連れになった人がいかに実直そうに見えても、同宿したり、食物や薬をやり取りしてはいけない。(人を見たら泥棒と思えという言葉は今も同じだ。昔は護摩の灰などと言うしつこい、しかも狙ったら目的を果たすまで、なかなか離れないのがいたそうで、今でも海外旅行に行くとこれと同じような土産物売りや恰好のいい掏りが居て、気が付いたら財布を抜かれていたり、パスポートを取られていたりというのがあるからご用心。また、別の心得書では途中から道連れになった人とは同宿してはならないとある。(護摩の灰の恐れもあり、下手すると命を狙われることもあるからだという。) 

9. 持金は必ず胴財布に入れ、懐中は小銭だけにしておくこと。(昔、山賊などに会うと「身ぐるみ脱いで置いていけ」と言う台詞があったと噺のまくらで聞くが、彼らは大きな金は胴財布に入っているのを知っているから、身ぐるみ剥ぐことが手っ取り早かったのだ
という。また、現金は紙幣などは無く、金、銀、銭貨となっていたから、大金を持って歩けばそれだけ嵩があるし、重いので泥棒や護摩の灰は旅人の歩き方でどのくらいの金を持っていたかがわかったのだという。

10.宿に泊まり、どうしても他人と相部屋になったら、戸締りに気をつけ、宵の口から同宿客の様子に注意せよ。(今は余り相部屋ということはないようになっているが、エイジェント・ツアーなどに行くと知らない人と一緒になることがある。道中心得は精神不安定の人や酒癖の悪い人と一緒になった時のことを心配しているのだという。) 

11.道中差しを持っていく事になるが、これは短い方がいい。目立った恰好は争いの元になる。

12.近道は決してしてはいけない。(どうゆう奴が待ち伏せしているか判らないからであるという)

13.宿で風呂に入るときは金銀を人に預けてはいけない。自分で小さな風呂敷に包み、湯に入っている時も目の届く所に置いておくようにせよ。(イギリスの安宿に泊まったとき、部屋に鍵はあるが頼りない。しかもシャワーが共同で部屋に無いから、そこまで行かねばならない。そこでパスポートや財布をポーチに入れ、シャワー室の棚に置いて体を洗ったことを思い出した。)

14.滝沢馬琴も以下のことをいっている。
 川は銭が勿体無いからといって自分で渡ってはいけない。命を落とす恐れがある。川越賃金が高いといっても病気になった時の薬代と同じで、これで命が助かるようなものである。

15.連れなき旅は夜を冒して早く出立してはいけない。朝早く出て、夕早く旅籠に着けという。(噺の「田能久」も先を急ぐ余り茶屋の亭主の忠告を聞かず、夜の山道を歩いてしまい、狸の化け物に会っている。)

16.土地が変われば言葉も変わるが水も変わるから注意せよ。どうしても飲まなければならない時は胡椒の実を一粒飲めという。(これは今は信じられない話だ)また食あたりも怖い。そこで茸などの珍しい食物は食べてはいけないという。

17.悪くなった草鞋は早く脱げ。草鞋は旅人の甲冑に相当するものだから、高くてもいいものを履け。悪い草鞋で足を痛めたら明日は歩くことも出来なくなる。(これは今でも同じことで、履き心地の悪い靴で旅行に出たら、足に当たったりして、余り歩かない旅でも心休まらず楽しめない。)  

18.夏の旅では馬に乗ってはいけない。何故なら蝿が寄ってくるし、馬の背で居眠りなどすると落ちる人が多かったからだという。 また、馬は午前中に乗れという。くたびれて馬に乗ろうとすると馬子に足元を見られて、吹っかけられる恐れもあるし、午前中に乗っておけば、午後になり足が軽く、道が捗るからだと言う。(この所「時代考証事典」稲垣史生著、及び「江戸の旅」今野信雄著を参照)


 昔も今も人は旅に出る。旅は行く人も残る家族も大変なエネルギーを要する。現在は交通機関が発達し時間も費用もそうかからないし、旅館も大分綺麗になり、衛生的であり、楽しい旅が出来るが、昔は歩く以外に能が無い。馬や駕籠があるが、これとても相当、金を持っている人以外は全行程で使うというわけには行かない。旅行中の安全や旅館に着いての注意事項は今でも昔とそう変わるものではない。

滝沢馬琴が言っているように 「旅中は悉く敵地に居ると心得よ」の気持ちは大切だ。所謂「常在戦場」であり、周りには掏りもいるし、置き引き、かっぱらい、女の誘惑が待ち構えている。旅館では非常口の確認や逃げ道のチェック、寝るときの煙草の火の始末、部屋のドアーの鍵のかけ忘れ、大事な物の常時携帯等、昔も今も変わらないことだらけだ。用心に越したことは無い。殊に外国旅行をする時は旅券や金、トラベルチェックは絶対に離してはいけないもので、旅行は楽しみに行くのが目的だが、苦労も一緒について回るから、まさしく楽あれば苦ありである。  まあ、気をつけて行ってらっしゃい。

平成16年10月
posted by ひろば at 06:38| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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