2004年11月01日

【044】衣服は人を語るか(鈴木和雄)

先代金馬さんの「孝行糖」を聞いていると、与太郎に飴売りの恰好を用意してやる近所の人が、かって流行った歌舞伎役者にあやかって作って売られた「りかん糖」と「しかん糖」の飴になぞり「孝行糖」というネーミングで唄を作って与太郎に飴売りをさせている。

この「りかん」(璃寛)と「しかん」(芝翫)はそれぞれ前者は関西の役者で嵐璃寛といい、後者は江戸の役者で中村芝翫のことで、この人達が江戸で芝居が大変好評で、この時着た衣裳の茶色が持て囃され「派手な中にも落ち着きのある茶色」と評判を呼び、これに目をつけた人が、この反物を二反買ってきて璃寛茶の反物で着物を、芝翫茶の反物で甚平、たっつけをつくり、小箱に飴を入れ、鐘と太鼓を叩いて飴売りに出した所、これも大いに売れたという。

これに似せて与太郎に同じような恰好をさせて「孝行糖」を売らせている。私達はこれで、ある程度、噺の中から与太郎が商売に出る恰好を想像しているわけだが、璃寛茶や芝翫茶はどんな色なのだろうかと思うことがある、現実に今は見ることは出来ないから、せいぜい茶色の生地で少し渋みのあるのかぐらいしか想像できないわけだ。

 落語にはこのように現在では素人の私達が聞いて判らないような事がよくあるようである。 談志さんが言っていたが、昔の噺をする時、出てくる台所の道具で「へっつい」とか「七輪」とかいうのが若い人に通じなくて、いちいち説明するのが面倒だと言っていたが「黄金餅」で談志さんや志ん朝さん、志ん生さんがやっていた西念坊主を入れた菜漬けの樽の棺を下谷山崎町から麻布絶口の釜無村の木蓮寺まで運ぶルートは演者はすらすらと言っているが、今聞く私達には現在の町名と噺の町名が一致せず、あまりよく判らないが、談志さんのいう如く、大体の感じは判らないでもない。このルートを全て棺を担いで歩いて行ったのだから大変だったのだろう。話している演者も「寺に到着すると、ああくたびれた」と言っている。語る言葉にリズムがあり、聞いていても楽しいし、よくこれだけ覚えたなと感心し、思わず拍手が起こっている。

 これと同じようなことが噺の中に出てくる人物の着る衣服についても言えるのだろう。 今はもう、その道の専門の人達を除いて、一般の人は普段、着物をあまり着ないし、知識も少なくなっているので、着物の種類や使われる小物の名前さえ知られず、演者が一生懸命話してくれても、聞き手に噺の中の人物が着ている着物について十分想像することが出来ず、聞き放しになっている点があるのではないだろうか。昔は話す方も聞く方も同じ感覚と知識を持っていただろうから噺が厚味を持って聞くことが出来たのであろう。

 円生さんが「百年目」の中で店の小僧達にいろいろ小言を言っていた番頭が一旦店を出て、駄菓子屋の二階の座敷で着替えをすると「下の襦袢は天竺木綿の極く目のつんだいい奴、大津絵を染め出した自慢の長襦袢、その上は結構な結城縮みの着物、綴れ(つづれ)の帯、同じく結城縮みの羽織」を着て「何処から見ても大家(たいけ)の旦那という立派な身なり」だといっている。 TVで「水戸黄門」に出てくる悪徳代官と手を組む大店の旦那達の着物姿を見るが、これが円生さんが話している大家の旦那の恰好なのかと想像してしまう。

 先代金馬さんの「佃祭」では佃島の祭りを見に行った旦那が帰り舟の遭難にあったのではないかと、遺体を引き取りに行こうとする近所の人達に、女房が今朝、出掛ける時の恰好を説明している。「白の蚊絣を着て黒の紗の羽織、羽織の紐は平打ち、紺献上の五分詰まりの帯、白足袋を履き、白木ののめりの下駄で、腰に矢立と煙草入れを差していた。下駄の柾目は十三本通っている」と細かく説明している。これも商家の旦那の外出姿なのだろう。女房がこれだけ細かく説明しているのは、多分いい服装なのだろう。
下駄の柾目まで言えるのは高価な下駄であろうことが想像できる。

 もうひとつ、金持ちの恰好で染丸さんの演じた「莨の火」の中で当時の紀伊国屋文左衛門に匹敵する金持ちで西 福太郎という人の姿が語られている。 住吉の鳥居の脇へ南の方から来た五十五ー六才の上品な人が「結城の着物にこげ茶のふし織りの羽織を着て、茶献上の博多帯、白足袋に雪駄を履き、首筋に小さな風呂敷を括り付け、雪駄の音をちゃらちゃらと、たてて来る」と表現している。 結城紬の着物は今でも高価な着物だが、昔でも結構高かったのだろう。それに羽織を着るということ自体も一般庶民には出来なかった筈で、白足袋というのも格を表しているのであろう。

 噺では色々な段階の人達の姿を説明しているが、侍の姿、それも落語に出てくるくらいの侍だからたいしたものではないが、その身なりを説明している。

 円生さんの「中村仲蔵」に出てくる斧定九郎のモデルになった浪人について、仲蔵が役を割り当てられ、新しい形の定九郎をやろうと明神様に願掛けをし、満願の日に蕎麦屋で蕎麦を前にして考えていると三十四−五才の男が入ってくる、「月代(さかやき)を伸ばした浪人風で背が高く、色が抜けるよう白い。黒羽二重の引き解きという袷の裏だけを取ったやつで、茶献上の帯に茶のくすねの雪駄を腰に挟み、尻を高く端折り、ろいろの大小を腰に差し、月代を撫でると雫が流れる」と言う細かい説明をしてくれている。引き解きについてはある程度の説明があるが、くすねは薬煉か、ろいろは蝋色か、よく判らない。折角の細かい描写が、今の人達には通じない恐れがある。昔の聞き手はこれで浪人の姿を目に浮かべることが出来たのであろう。

 金馬さんの「夢金」に出てくる侍の姿も歳は三十二―三才で「黒羽二重五つ所の紋付と言いたい所だが、黒が焼けて、紋が汚れて黒くなっているので羊羹羽二重黒紋付だ。
茶献上の芯の出た帯を締め、ろざや(蝋鞘)の剥げちょろの大小を腰に落とし、素足に雪駄を履く」といっている。いかにも落ちぶれ侍の浪人の姿を表している。雪の降る冬の最中に足袋も履かない素足の姿も哀れで、いかにも悪事をたくまざるを得ない侍の現状を物語っている。

 女の人の恰好で噺に出てくるのは円生さんの「派手彦」で、坂東彦と言う踊りの師匠、歳は二十二才、男嫌いだったが、身なりは派手だったので「派手彦」と呼ばれていたが平生は「小紋縮緬、一つ紋の着物と黒繻子の帯をやの字に締め、文金の高島田を結っていた」というが、これでは私たちには何処が派手なのか判らないが、何か粋な姿だったのだろうとは推察される。

 円生さんの演じた「雪の瀬川」では瀬川花魁が廓を抜け出して若旦那のもとに来る時の姿が「黒の羅紗の頭巾に紺桔梗の合羽を着て柄袋の大小を持ち、つま革のかかった中高の下駄を履いて、右手に蛇の目の傘を持った人が家の中に入って合羽を脱ぐと、下は燃え立つような緋縮緬の長襦袢、紺献上の伊達巻をくるくると巻いて前に挟み、頭巾を取ると洗いたての髪を七分か八分玉の珊瑚の簪にきりきりと巻き、すーと立った姿は雪女郎かと思うほど」と語っている。これだけ聞いても楚々として店の入り口に立つ瀬川の姿が想像されるが、昔の聞き手はもっと素晴らしい色気をこの語りから感じていたのであろう。

 廓の人物では柳朝さんが「突き落とし」の中で、もう一人の人物の姿を語っている。
いわゆる引付でおばさんが出てくるが、その恰好について「廓全盛の頃はとうだんの襟付きの着物に八端と黒繻子の腹合わせの帯をしっかけに結んで、食い込むような白足袋を履いて、しらおの煙管をぶら下げてほおずきをぎゅうぎゅう鳴らしながら出てくる」と表現している。おばさんの姿が想像できるような、出来ないような、細かい所はさっぱり判らないが、雰囲気は判る。

 さん喬さんが「短命」の中で、店の若いかみさんが生前の夫と過ごした夏場の様子を大家が想像して八っつあんに語っている。「浴衣がけで赤い半巾の帯をちょいと男締めにして、衣紋をあける、うなじがのぞける、ああ、なかなか色気があるじゃないか。暑さの為に雪の様に白い肌が紅を指したように、ぽーと赤みを帯ている。たらたらと汗が頬を伝わる。それと一緒に鬢の解れが白地に一本墨をひいたようにすーと流れてごらん。
時よりの吹き込む風で軒下の風鈴がちりん、ちりんと鳴る」と実に情緒溢れる表現をしている。そしてあたかも観客に言っているように「ぼーと聞いていてはいけない、頭の中で思いめぐらしてくれなければいけない」と話している。まさしくその通りである。

 志ん生さんの演じた「百川」で田舎出の百兵衛の姿について、店の主人の説明でその恰好を語っている。上総の鹿野山から出てきたという百兵衛の話を受けて「おそろしく短い羽織を着ている、羽織が短い割りに襟の巾が広い、三寸五分あるか、羽織の下から帯の結び目が見える。羽織が小さい割りに紋が大きい」と言うと百兵衛はこれはひい爺さんから貰ったものだと言っている。百兵衛さんの古風さを際立たせている。

文楽さんの「酢豆腐」で糠味噌漬け桶に手を入れるのをてつちゃんは「あんなどじで野暮なものはない、いい若い者のする仕事でない」と断ると、兄貴分の男が「いい若い者というのは普段襟垢の付かないものを着て、銭払いの綺麗なものを言う。お前のなりは何時も同じものを着て,ひとえになったり、合わせになったり、綿入れになったりだ。職人は巾の狭い粋な帯を着けているものだが、お前の帯は大変巾の広い帯だ。あばあさんの形見か]と反論している。これで、てつちゃんの垢抜けない姿が想像できる。

 円生さんの「乳房榎」の豊志賀の病床姿は「小紋縮緬の寝巻でというと体裁はいいが普段着にしたり、寝巻にしたりで、薄汚れて、袖口からお飾りが下がっている。しごきを胸の所でぐーと締めて瓢箪のようにくびれている」嫉妬に狂った女の哀れさ、怖さと惨めさとが伝わっている表現である。

 悪い奴の恰好も細かく語られている。志ん生さんの「業平文次」で町の乱暴者と言われる男の女房が、当時の風呂屋が混浴なので、中で生薬屋の番頭がちょっかいを出したのを機に、金を脅し取ろうとする女の風情を表現している。「二十三−四才で小股の切れ上がった、口元の締まった、男好きのする顔の女、髪はその頃流行った達磨返し、かいでんけの袷に黒繻子の襟をかけて、八端と黒繻子の腹合わせの帯をしっかいに結んで湯に来る」

 円生さんの「緑林門松竹」に出てくる占い師のお関が占いをする時の恰好が語られている。占いをしてもらう人が入っていくと、三十をひとつ出たという所の女が被布(しふ)の様な物を着て、紫縮緬の大きな座布団を敷き座っている。蒔絵の莨盆、金無垢の煙管が傍に転がっている。色くっきりと白い、鼻筋の通った、眉毛の跡が青々とし、目元に何とも言えない色気があり、口元の麗しい、髪は切り髪で艶めかしい。品格といい、器量のいい女だ」という。こんな女が悪事を働くとは思えない表現だが、しかし、噺の所々に皮肉な言い方もあるので判る。

 志ん馬さんの「お血脈」で長野の善光寺のお血脈の御印を蔵ってある所に行って、地獄に盗み出せる者として石川五右衛門に頼むが、その恰好が芝居に出てくる姿そのままに「黒の素編みの上に黒の四天を羽織り、丸ぐけの帯をとんぼに結んで、朱鞘の大小をかんぬきに差して、重ね草履と言って厚い草履を履き、頭は百日鬘といってオールバックを逆さにしたようなすごい頭でやって来た。」と語っている。昔の人達はこれで充分、五右衛門の姿を想像したのだろう。今でも芝居を観る人はよく判るのだろうが、そうゆう事に門外漢の私には判らないことが多い。やはり古典落語を聴くには芝居の素養もないと噺を楽しめないのかも知れない。

 これらの着物の服装の説明が判る方は相当和服や和装に就いて知識のある人であろう。普段、着物を着る習慣が無くなった私達にはこうゆう細かい服装の説明はなかなか
付いていけない面がある。昔の演者は時代考証なども取り入れながら、衣服ひとつにしても、深い知識と考察を噺に反映して、重厚さのある語りをしてくれている。このような研究熱心な態度と芸が私達を益々引きつけるのだろう。時代が変り、どんどん古い
事象が無くなって行く昨今ではあるが、せめて噺の上だけでも昔の姿は残っていてもらいたいものである。
 しかし左甚五郎が「竹の水仙」で宿屋の主人に言っているが「他人の恰好を見てその人を判断してはいけないよ」と言っているが、大切な言葉ではある。

平成16年11月
posted by ひろば at 06:39| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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