2005年03月01日

【048】挨拶とお世辞(鈴木和雄)

この頃の若い者は挨拶も碌すっぽ出来ないと嘆く人達がいる。しかしそんな人でも昔はどうだったか判ったものではない。先代金馬さんの「薮入り」で不精者でがさつな熊さんが息子が久しぶりに奉公先から帰ってくると言うので珍しく早朝から起き出して家の前の道を掃いていると、近所の人がこれを見て一声掛けている。

近所の人「お早うございます。よい塩梅で天気になりましたね」熊「あっしのせいじゃありませんよ」人「亀さん大きくなったでしょうね」熊「小さくなったらなくなちやうからね」人「後で遊びに来るように行ってください」熊「当人がなんて言うか判らないね」と素っ気無い返事をしている。

これに対して熊さんのかみさんがさすがに愛想のない挨拶だと感じて叱っているが、同じような挨拶の返事に旦那が久蔵に注意している話がある。

冬の寒い朝に久蔵が家の周りを掃除していると近所の人が「久さん寒いね」と言うと「おらのせいではねえ」と返しているのを聞いた旦那が「山は雪だろう」ぐらいの愛想のある言葉を言うように注意しているが、その内、春になり暖かくなり、「今日は暖かいね」と言われると「山は火事だろう」と返答する噺があり、久蔵の大げさな挨拶が笑いの対象とされている。

 挨拶は難しい。すこし進んでしまうとお世辞になってしまう。更に進むとおべっかとなり、今度は当人には判らないが外から見るといやらしさが付きまとうことになる。挨拶やお世辞は社会の潤滑油であり、これなしには集団社会の中をスムーズに渡ることが出来ない。

「おしゃべりな人が得をする。(副題:『おべっかとお世辞の人間学』)」リチャード・ステンゲル著、中原聡子訳に「ちょっとしたおべっか(お世辞)は社会をまとめる接着剤にもなっている。おべっかは人が理想とする市民社会を維持するための日常的な儀礼の一つである。おべっかは例えそれが不誠実なものであっても、日常生活をほんの少し快適にしてくれるささやかな心遣いなのだ』と述べている。

 落語の中にも挨拶とかお世辞についての噺があるが、この挨拶とお世辞は噺を始める演者自身がお客に語りかけている。

 円生さんは独演会で「ご贔屓を頂きまして、ご来場有難く御礼申し上げます」と挨拶している。このご贔屓なる言葉には円生さんに好意を持っていること、師匠の噺を好きなこと、そして古典落語を愛してくれる皆さんに対する師匠の感謝の気持を表したいい意味のお世辞であったのだろう。

 もう少しお世辞が進んだ挨拶には伯楽さんの「噺にもいろいろあるが何か心をゆすぶられて、聞いた後に何か残るものがあるが、今日のお客はそうゆう噺が解ってくれる人達で、東京のエリート中のエリートだ」と持ち上げる一方で「或いは余程の変質者かのどちらかだ」と言って笑いを取っている。

 権太楼さんも「江戸落語の粋を味わおうという崇高な精神をもっている方ばかりだ」と言うし、若い円太郎さんも浅草演芸場での挨拶で「今の日本にこれだけ知的レベルの高い国民が残っているということの証を目の前にして嬉しい限りだ。幸せの人生を歩んでいた方は選択のミスがない。誤りのない人生を歩む、これがインテリジェンスというものだ。こうやって寄席に来て幸せを守ろうとする人間としての優秀な本能を持っている。浅草に来ても、この前を通り過ぎ馬券場に行く人達とは顔つきが違う」とさんざ持ち上げっぱなしである。お世辞もこうなるとおべっかの域に達する。若円歌さんも「この暑い中を寄席に来てくださるお客は他の娯楽施設に行く人達よりも何か律儀なお顔をしている」と言う。

 こうゆう噺家のお世辞は昔の誘惑者の信条である「人をおだてる最善の方法はその知性をくすぐることだ」と言う手法を其の儘表しているのだろう。

知性は外からは見えない。しかしどんな人でも俺はある程度の知性は持っていると自負している。そんな隠れたところを突っついて、嘘でもおおげさに褒め称えることがお世辞であり、おべっかである。そしてお世辞を言われた人を嬉しくさせる効用があると言う。だからお世辞やおべっかは欺瞞であると言っている識者もいるようだ。

「自分の利益のために他者を高揚させる現実操作であり、純粋な賛辞である」と前記のステンゲル氏が述べている。国語辞典でも「お世辞」の意味を「相手に取り入ろうとしたり、好意的に見てもらおうとしたりするために相手自身や相手に関係のある事に付いて必要(実績)以上に褒めて言う言葉」と記している。

 であるからお世辞を言ったり、おべっかを言う人には気をつけなければいけないと言われる。円生さんも噺のまくらで「丁度食事をしようとしていたところに、一見ごつい人が来合わせると『何だそんなものを食べているのか,可哀そうだ。俺が鰻でも食わしてやるからついて来い』と言ってご馳走してくれるが、ソフトでお世辞のうまい奴は、よく食事時になると来て『これからお食事ですか、今日のおかずは何ですか、おいしそうですな、私にもお相伴させて下さい』と言って一食を掠めとられるから用心をしなければいけない。」と言っている。

 一方先代金馬さんは「子褒め」のまくらで子供を褒めるのがうまい人は一杯の酒にありつけるが、子供にいやみばかり言っている男は拳骨を食らうといっている。

世の中には他人にいい事を言われたり、好意的に扱われたりすると何か自分が優位なポジションに座ったような気がする人が多いものである。会社でも社外で上司に会うとその上司のところに歩み寄り鞄を持ってやったり、背広の糸屑を取ってやったりとあれこれ気を使う輩がいる。こんなのに限り宴会の席では上司べったりに張り付き酒を注いだり、お色気の話をして、気を引こうと勤めている。

上司の方もこんな事でもやつは愛(う)い奴だと、次の人事考課にいい点をつけようと言う気にさせる。これはもうお世辞の段階を逸し、おべっかが成功している。
 
 落語ではこんなのは当たり前の話で「王子の幇間」に出てくる幇間はお世辞、おべっかは商売のネタであるから、お得意の店ともなれば満遍なく誰にでも愛想を振りまき、人間はおろか猫にまで世辞を言っている。

「ちりとてちん」では旦那に呼ばれて料理をご馳走になる竹さんは、後から来た寅さんと違い、目にするもの、口にするものを何でも珍しいと言って食べている。こうなるとご馳走する方も張り合いがあり、お互いに楽しいが、寅さんのようになると旦那もちょっといたずらをして見たくなる。

 あまり聞かない噺だが「世辞、不世辞」と言う噺でも愛想は悪いがいい品物を売っているので繁盛している蜆屋とお世辞のうまいのでよく売れる花屋がいて、花屋が蜆屋にもうすこし愛想を良くしたらどうかと言うと、蜆屋が花屋にお前はそうやって愛想をよくしておいてその家を調べ、夜になると泥棒に入っているのだろうと逆らい、喧嘩になる噺だが、成る程、金馬さんが言うように「お世辞は商売の秘訣である。」と言うのは真なんだなと思う。

 「子褒め」の熊さんはそもそも酒をただで飲もうと言う算段であるから、お世辞を言うことを教わり、見知りの番頭さんに下手な愛想を言ったり、赤ん坊が生まれたばかりの家に行って子供をほめると言うことで親から酒を一杯せしめようと言う意地の汚さだからちっともうまく行かない。ここではお世辞は効果がない。

 「牛褒め」もおやじさんから教わったとおりのお世辞をおじさんの新築の家や牛についてやっているがすこしも通じない。お世辞もおべっかもやる当人が嘘か真実か判らないくらい陶酔して言わないと相手に通じないそうである。

 であるから昔のヨーロッパの上流の家では先ず礼儀正しい挨拶から教え込み、段々そこにお世辞のやり方をいれてスムーズに相手に自分の意思が伝わるようにしたそうである。「青菜」で旦那が植木屋さんに仕事の終わり頃に、縁側で酒の席を設け、ご馳走しているが、そこで旦那の言う台詞が心にくい。「あなたの植木の手入れがよいから」とか「水の撒き方が女中達のやり方と違って緑が生き生きする」とか褒め言葉の世辞を言って慰労と励ましをしている。お世辞もこうやりたいものだ。

 お世辞も高じるとおべっかになり、第三者が聞いていてもいやらしさが付きまとうが、幇間のやるおべっかはその商売柄誰も認めているので当たり前に思っているから「鰻の幇間」や「猿後家」に出る幇間たちのことは気にならないし、逆に度を越したおべっかが笑いを誘うのである

「将軍の屁」に出てくる水戸公を始めとする諸侯が屁をした将軍に対する態度はまさしくおべっか以外のものでないが、笑いの内にも諸侯たちのへつらいの姿が見えるようでその苦労がしのばれるものだ。

 「町の若い衆」が親方のおかみさんに言うお世辞と八っつあんのかみさんに言う仕組まれたお世辞には差が出ている。前者は自然に出た世辞であり、後者は頼まれたから言う造られた世辞だ。その落差が面白い。

 お世辞も話術の一種であろう。ある程度の教養もないと粗野な言葉になってしまい相手に伝わらない。お世辞とおべっかは真実と欺瞞がない交ぜになったものだそうで,受け手の方もストレートにお世辞を言った者の言葉を信じてくれるものではないのだから、そこにお世辞の話術と技巧が、要るのだろう。相手の気持をどうやって高揚させることが出来て、自分に有利にさせることが出来るかという利己的な戦術をしっかり組むことが出来ないと噺にあるように時々失敗してしまうことがあるそうだ。

平成17年3月
posted by ひろば at 06:42| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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