2005年04月01日

【049】噺に出てくるお裁き(鈴木和雄)

人はこの世に一人では生きられない。そこで他の人と共に協同で生活したり、働いたりと言うことになる。しかし、この「共に」と言う所が曲者で,この為に人は争うことにもなるのである。
結婚した時には身も心も一緒になったと思っていた男女も,ある時を境として争うこととなり、離れていくのは世によくある例であろう。まして他人同士が何かのことを共にやっている時に、始めはいいが、その内二人の利害が反して争いとなることが往々にしてある。
個人と個人の間はまだ第三者が入り治めることが出来るが個人と複数人、複数人と複数人という争いとなると、一寸やそっとの第三者では簡単に治まりのつかないこととなる。

 しかもこれらの争いが社会の安寧に影響を与える恐れがあったり、江戸時代のように藩や国がそのため秩序を乱される恐れがある時は、国等の機関は手を拱いてみてはいられない。現代ではそのような争いで起きた訴訟には警察や裁判所が裁きをしてくれており、しかも一審で不服なら二審,三審と上級審に訴えて何とか裁きがつけられるが、落語に取り上げられている江戸時代にはそんな面倒なことはやってくれない。

 当時のお裁きは幕府の評定所でやっていたが、ここだけでも金に関する訴状だけで年に一万数千件と言われ、しかもこれを裁く人数も限られているので、簡単に裁決できない。更に公事という刑事事件のようなものも評定所で協議の上、裁決しなければならないので、時間がかかり、被疑者を捕らえてから何年も牢に入れておき、その内、牢内で死なせてしまうこともあったということである。
  
 落語で取り上げられている訴えの噺は大体、民事訴訟である。当時は「公事訴訟」といわれていたが、公事は刑事事件をいい、訴訟は民事事件を指した。噺の訴訟は大体が庶民同士の争いが大部分であるから、町奉行所で裁くことになるが、奉行が直接裁くことはあまり無く、実際は町奉行の下にいる吟味与力が訴える者とその相手から事情を聞き取り、これを纏めて奉行に上げて、白州で最終的に裁決を伝えたのだそうだ。
  
 しかし、この奉行所では金一分、銀十匁、銭十貫文以下の場合は訴訟としてとりあげないこととなっていた。であるから争いも小さいものは家主や名主の段階で処理されていたという。
 
「三方一両損」に出てくる話のように三両であるから、お白州にもって行けるものは、先ず訴える方が家主に訴訟を起こす旨の宣言をして、家主は相手を支配する家主と話をして、仲裁が出来れば、それで済むが,纏まらないと名主の家(役宅)に行き、ここで話し合う。ここでも片付かない時は、名主,家主連署の上、奉行所に訴えを持ち込むことになっていたという。奉行所は当番の与力が訴状を受理することになる。この為、訴状を受け付ける窓口は昼夜何時でも開けていたそうだ。(「江戸町奉行所事典」笹間良彦著より)

落語で話されている裁判の噺は所謂「政談」として語られている。ざっと挙げただけでも「唐茄子屋政談」「小間物屋政談」「鹿政談」「茶碗屋政談」「遠山政談」がある。一方「政談」と題名には付いていないが「大岡政談」の噺として「三方一両損」や「大工調べ」があるが、必ずしも大岡越前守の裁判でなく、「板倉政要」とか「板倉大岡両政要」に出ているものだそうで、江戸末期に纏められた「大岡政談本」によっているものという話である。

 これらの「大岡政談」は当時の大岡越前守の前後で町奉行をしていた人々の功績も越前さんの政談としてとらえられているということである。大岡越前守の任期は享保2から元文1(1717−1736)であるが、政談に挙げられている功績のあった人達は中山出雲守、正徳4から享保8(1714−1723)、稲生下野守、享保16から元文3(1731−1738)、依田豊前守、宝暦3から明和6(1753−1769)、土屋越前守、宝暦3から明和5(1753−1768)、能勢肥後守、延享1から宝暦3(1744−1753)、曲淵甲斐守、明和6から天明7(1769−1787)でこれらの町奉行の事績が潤色されて大岡政談として述べられているそうである。

 しかも、これらの話はインドや中国の話に原典があるものもあるそうで、江戸末期の大岡政談として纏められた時に全て入れられてしまったのではないかという。
大岡越前守が実際に裁いたのは政談として纏められている話の内、「白子屋お熊」だけだという。この「白子屋お熊」は歌丸さんが「城木屋」の噺を演じる時に、まくらでこの話にふれて、「白子屋」は「城木屋」のもとだと言っている。

 又、先代の金馬さんが演じていた「池田大助」は本来「佐々木政談」という噺で佐々木信濃守、文久3(1863)が出てくる噺だが金馬さんは大岡越前守が子供の相手をする奉行にしている。「小間物屋政談」も大岡さんが裁いたことになっている。

「帯久」の和泉屋と帯久の争いも最後に越前守が火付けをした和泉屋を火あぶりの刑にする事を決しているが、本来は帯久の猫ばばが争いのもとだから、和泉屋にすこしずつ金を返すことを命じ、払い終わったら刑を行うこととしている。この噺は「一文惜しみ」とか「五貫裁き」(両者は殆ど同じ噺だが)に似ているところがある。

「茶碗屋政談」は茶碗屋と砂糖屋が自分の品に水がかかったというだけで普段から仲の悪い二人が喧嘩を始め、家主が奉行所に訴えるという噺だが、上方噺であるから大阪奉行所で裁いたのであろう。あまり聞かない噺である。

「読み違い」は毎日浅草の観音様に信心する男が、ある日、目の前に飛んできた紙切れを見ると火事の予告がある。観音様のお告げと思い、家に帰り、急いで蔵に家財などを入れておくと,その晩、火事があり男の家だけ損害を免れた。近所のものが男が怪しいと奉行所に訴えて出た。男が奉行に差し出した紙切れは菓子屋のチラシに過ぎなかった。

 談志さんが演じた「五貫裁き」は大岡裁きの噺であるが、五貫文の科料に処せられた男が、直接、奉行所に持ってくるのではなく、相手に届けさせ、相手は町の世話役同道で奉行所に収めさせるようにして、お手上げにするという大岡さん一流の裁き方である。

「五人政談」は大阪の酒屋で起こった話で、上方噺だから裁く奉行も大阪の町奉行であろう。男が酒屋に忘れた50両の金は借金を払うために娘が身を売った金であるが、これを酒屋の番頭が猫ばばした。たまたまこれを見ていた船頭が訴えるという噺である。

「鹿政談」も上方噺であるが、古くから東京でも演じられており、今や東西の区別はない。奈良の鹿が話題であるから、裁くのは奈良町奉行であるが、米朝さんや金馬さんは根岸肥前守、寛政10から文化12(1798−1815)と言っているが、露の五郎さんは松野河内守,宝永1から享保2(1704−1717)であり、この人は忠臣蔵の天野屋利兵衛を裁いた奉行だといっている。噺の方は皆さんご存知の通り。

「こび茶」、昔「こいつはいい」という言葉が流行り、これがもとで喧嘩が生じたために奉行所がこの言葉の使用を禁じたことがあった時に、たまたま紺屋の職人がこび茶色の衣裳を着ていた女を見て、「こいつはいい」と言ったのを岡っ引きが聞きとがめ、お上に訴え、裁きになったと言う噺であるが、これは公事に属するものであろう。

「梅若礼三郎」は自分が貧乏人にやった金が手配金だった為にその貧乏人の女が訴えられ、牢に繋がれる。これを聞いた礼三郎が自訴して助けると言う噺。
「後家殺し」この言葉は上方で義太夫の褒め言葉だが、ある職人が自分の内妻である師匠を殺してしまい捕まる。裁きの白州で奉行に打ち首を宣告され、最後に言うことはないかと言われ、義太夫の一節を語ると奉行が「後家殺し」と褒める噺である。

「ひゃっくり政談」は別名「次の御用日」という上方噺で大店の娘を驚かした犯人と奉行が「あっ」という言葉を高い音で掛け合うのが可笑しくて,よくラジオを聞きながら大笑いした記憶がある。「てれすこ」は長崎の代官所の話で名前の判らない魚の名を公募した所、ある男が「てれすこ」だと言う.代官がもう一度、同じ魚を干して名を募ったところ、「すてれんきょう」だと言ってきた.。代官が不埒だと捕まえて打ち首と言うと、男は「イカをするめと言うな」と女房に伝えてくれるように頼む、とんちの利かせ方が面白い。

「遠山政談」は刺青判官で有名な遠山左衛門尉が扱ったお裁きであるが、円生さんが話しているのを聞くと、噺に出てくる醜い女の出身地が四街道であると言っている。しかも人無し化け十だと言う表現である。この女は小さい頃に囲炉裏に落ちて顔が火傷で変わってしまったのだから、本人には何の落度もないのだから、可哀想である。当時は四街道と言えば江戸から大変遠い地方だったかも知れないが、今や我々の住む隣町であるから、聞いていてあまり気持のいい噺ではない。

 江戸町奉行と言えば今の都知事であり、警視総監でもある。ことに大岡越前守は寺社奉行や地方御用掛も兼ねさせられていたので、財務担当や地方自治担当もやらされていたという。であるから通貨統一、物価引下げ、米価調節などの一町奉行の力で解決できる問題でなく、大岡さんも裁ききれなかったようで、米価の問題で「打ちこわし」などが始まる頃になると落首があらわれ、「米高間壱升貮合を 粥に炊き 大岡食われぬたった越前」と揶揄されたが、この下の句が「三方一両損」でオチに使われているのだそうだ。しかし本当はこの「三方一両損」は先にあげた土屋越前守が裁いた訴訟だと言う。

 争い事は世に絶えない。これを仲裁するほうも大変である。アメリカのように訴訟社会になってしまい、何でもかんでも裁判所に訴えて、自分の有利にしようとする人が増えて、儲かるのは弁護士だけである。自分の食欲を制し切れずにハンバーガーを沢山食って、それで肥満になってしまい、売った店が悪いと訴えている馬鹿な話があるが、自分を律する心を失ってしまったのを他人のせいにする。こんなのは自分で自分の心を裁かなければならない。
どのくらい食べたら自分の体に適当かを判断する常識がなくなっているのではないだろうか。常識が通用しなくなった社会は怖い。こんなのが日本で流行ったらどうなるのか。いや、もう始まっているのかも知れない。新聞やTVを見ているとびっくりするような事件が出ている。老人をいじめたり、ホームレスを襲撃したり、抵抗の出来ない幼児を殺したりと枚挙に暇がない昨今である。どうしたら正常になるのだろう。やはり古典落語をじっくり味わうことだろうか。噺を沢山聞かせて世の道理を教えてやることが一番なのだろう。

平成17年4月
posted by ひろば at 06:43| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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