2005年09月01日

【054】花巻としっぽく(鈴木和雄)

最近、遅まきながら、江国滋氏の「落語手帳」を読んだ。中に「落語博物誌」という章があり、その中にある「しっぽく」というエッセイを読んで、わが意を得たりという思いであった。江国氏はその中で「しっぽくは漢字で卓袱と書くこと、卓の被いの意味であったが、卓の上にのせて供する料理であったので卓袱料理と言ったこと、はじめ長崎に伝来したので、長崎料理といわれ、江戸時代に流行したこと、鳥獣魚類を材料とする料理であり、蕎麦、うどんの上に椎茸,蒲鉾、湯葉,海苔、野菜をおいたものを関西方面で今でもしっぽくそばという」という平凡社刊の大百科事典の解説を記している。

別の資料である「蕎麦の事典」新島茂著によると「この卓袱料理の中に,大盛りに盛られたうどんの上にいろいろな菜肉がのせられたものがあり、これをいち早くまねて,大平椀に盛ったものが「しっぽくそば」で寛延年間に江戸で売り出された本に、日本橋人形町に新しい店が出来、しっぽくそばが提供されたと出ているが、卓袱の長崎から江戸への動きから見てみると、やはり京阪の麺屋が先に始めたと考えられる」と出ている。

卓袱料理が当時流行った理由として別の資料では昔は食事は個々の人が夫々の箱型の膳を与えられていて、それに飯、汁、おかずがのせられていた。食事が終われば、自分で膳を洗い場に持ち込むことになっていた。所が、卓袱料理を食べる時は,大きなテーブルにきれいな布が敷かれており、そこに供される料理が何種類もあり、またその量が人数分並べられているので、今までの個々の膳に比べれば華やかなので興味をもたれたためであったと言う。

所で、そば、うどんの上にいろいろな具がのせられているのがしっぽくそばということは前記の事典に出ているとおりであるが、現在の東京やその周辺の町のそば屋では、このそば丼はお目にかかれない。「時そば」の噺の中で町人がそば屋に「何が出来るか」と聞くと、そば屋は「出来ますものは花巻,しっぽく」と答えている。

これは今でも江戸落語を話す噺家がみな同じようなことを言っている。今の東京ではどのそば屋に言ってもメニューにさえ載せていない。江国さんが記しているように、そば屋の親爺さんさえも「おかめそば」のことじゃないかとか、「しっぽくって何ですか」と逆に問われる始末だったと書いてある。

確かに東京ではお目にかかれない品名である。江戸時代に盛んだったのにどうして今はないのだろう。だから私達東京周辺に住むものにとっては「花巻、しっぽく」は耳には聞くが目や舌にとっては縁遠いものになっているのだ。
江国さんが捜し求め、大阪で辿り着き、食べることが出来たように、私も落語では何回も聞いていたが、どのようなものか一度、お目に掛かってみたいものだと思っていたが、十数年前に京都に行った時に四条の橋のたもとのビルの1階のうどん屋のメニューに「花巻、しっぽく」の文字を見つけた時はやっと会えたという感じであった。

江国さんは大阪道頓堀の中座の側にある「今井」という老舗の品書きで見つけて、やっと会えたと狂喜したと書いてあったが、私にはそんな大それた感じはなく、唯、関西方面に来ないとこの不思議な名前のそば丼は食べられないのだなと思って早速注文をして見た。

「時そば」を演じている小さんさんを始めとして柳橋さん、柳好さん、文朝さん、さん喬さん、小遊三さん、雲助さん、夢之助さん、若手で花緑さん、世之助さんらの皆さんの噺を聞いてみたが、皆、花巻でなく、「しっぽく」を頼んでいる。花巻は前記の「そばの事典」に依れば「花巻はかけそばに焼き海苔をのせ、薬味はおろし山葵で、ねぎはつけない。海苔の香りとそばの味を楽しんだものだという。そこへ行くと、しっぽくは前述の通りいろいろな具が楽しめたからではないだろうか。

しかし、噺の中にあるように全員蒲鉾の替りに竹輪を使っているようだ。竹輪の切り方の厚さにより、そば屋のサービスの程度がわかるもので、後半に出てくる「麩」なんぞを使われたら、そばの味も半減してしまっただろう。

東京の噺家が「時そば」で未だに「出来ますものは花巻にしっぽく」と話しているのに対し,上方の噺である「時うどん」では枝雀さん、小染さん、若手の花丸さんも「どうです一杯つけましょうか」といううどん屋の誘いだけで、直ぐうどんが出来上がって、食べ始め、途中うどん屋に対して具についてお世辞を言っていない。

翌日も、昨日連れて来られた男が、自分でうどんを注文し、食べているが、彼も具については一言も触れず、唯、残りの1−2本のうどんについてうどん屋に何やら訴えているのみである。東京の場合は具についてその優劣を話しているから、竹輪ひとつの事とは言え、しっぽくを食べているのだとわかるが、上方の噺はそれがない。

江国さんはうどんの老舗の「今井」のしっぽくうどんについて「大げさな表現を許して貰えるなら、その美味に感激した。何よりそのつゆのうまさ、これ以上薄かったら味がないと思えるほどの薄味でありながら、最高級のコンソメのようにこってりとした味、そのつゆに具が良く調和して、なんとも言えぬうまさだった」と書いている。


やはり食通の人は舌が肥えている性か、うまさをうまく表現しているが、私が食した時はそんな感激はなく、そばにのっていた具も小さく、何かみすぼらしいしっぽくそばであったように思った。そしてつゆも江国さんの言うような薄味を美味と思える舌も持ち合わせず、只鰹節と塩味ばかりの目立つ汁を啜って、思わず品書きの値段を見たら、割合に安い部類の値段で、もっと高いものを頼めばよかったと反省したことを思い出した。

しかし、しっぽくそばの何たるかを知ることが出来たし、今の東京で食べられるおかめそばに似ているので流行らないのだろうと納得できたような気もしたが、今一度もっといい店に行って、食べてみたらどうかなとも思った。しかし京都方面に行く機会はなく、あれ以来しっぽくにお目に掛かるチャンスはなかった。

大阪に行った時に、当地の人たちと昼飯を摂る機会があったが、そばでもうどんでも注文すると必ず飯がついて来る。東京ではそんな習慣がないから、そばならそばだけ食べて、満足するから飯は要らないと店の人に言うと、一緒に行った人が、そばだけ食べて、飯を食わないとみすぼらしいから飯は食えと言う。値段は同じだし、腹も一杯になるから、是非そうしろと言われ、食べれば食べられないことはないからと箸を進めたことがあったが、関西には関西の食習慣があるものだなと思ったものだ。

しっぽくそばが今でも関西にあり東京にないのはそんな当地限りの食習慣が定着したからなのだろうか。食習慣と言えば、そばでもラーメンでも麺を食べた最後に丼を傾げて、汁を全部飲んでしまう人がいるが、これも習慣でそうしないと満足しないし、下手するとラーメン屋の親父に怒られるからとやっている人がいるが、なんと言ってもあの汁は塩気が多いものだから、なるべくなら残すようにしたいものである。そうしないと高血圧や糖尿病という生活習慣病になりかねない。普段の食生活に気をつけないと、TVのタイトルじゃないが「大変なことになりますよ」だ。

「時そば」で小さんさんが食べ終わって丼の汁をすするシーンがあるが、あの様に音だけ出して、本当の汁は飲まない方が賢明だろう。

平成17年9月
posted by ひろば at 06:48| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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