2006年01月01日

【058】小僧の小遣い(鈴木和雄)

現在は就職するとなれば最低、義務教育だけでも卒業してから、希望する職場に赴くことになるが、落語で話されている時代は、親が子供に早くから商売のこつをおぼえさせるためとか、職人としての技術を早く身に付けられるようにとかのために割合早くから商店や職場に丁稚とか小僧とかの形で奉公に出していた。しかしそれとても余り小さくては手足まといになるだけで、職場の用にたたないから、少なくとも今の学齢でいえば小学校を卒業した12−13歳にならないと奉公には出さなかったようだ。

大店ではこうゆう子供を預かった時は、店に入ってから読み書き、算盤を教え、商人としての知識の基礎を学ばせたようだ。中小の商店や職場では一般の教養はどうやっておしえていたのであろうか。

子供の親たちも本当に子供の将来を思って奉公させた場合もあろうが、貧乏な親は一人でも口が減れば家計が助かるという考えで子供を働きに出したときもあったようだ。
子供は奉公先に行くと少なくとも3年は家に帰ることが出来ず、殆ど無給で働かされることになる。しかも正月の薮入りとかお盆の中日ぐらいしか休みの日はなく、寂しい日々を過ごしたようである。

しかし小僧が全くの無給かと言えばそうではないようだ。ただ本人の手に金が渡らなかったと言うことのようだ。例えば天保9年(1838)の桐生の織物問屋では子供(小僧)は6年間は仕着せを支給され、勤めて4年目から祝儀として金200疋(1疋は、25文、1文が今の15−16円ぐらいだから75,000円ほどか)を支給するが、本人には渡さず、預かり置くとなっている。

近江商人で豪商と言われた中井家の場合も13−14歳のものには1−2両を祝儀として出しているがこれも預かり置くという形になっていて、将来暖簾わけの時にもらえたようだが,中途退職をすると、減額されたと言う。

小僧(丁稚)時代は毎年、仕着せと祝儀はあるが、普通もらえる所謂給与はなく、この小僧たちが小遣いに困っていたことは事実のようだ。こうなると彼らは頭を使ってこの小遣いを何とか生み出そうとする。噺の中でそれが一番露骨に出てくるのが「人形買い」の小僧であろう。奉公する店の若旦那と女中の間の話を人形を買いに来た男達に小刻みに出して、金を稼ごうとしている。


「引越しの夢」に出てくる小僧も番頭に頼まれて,桂庵へ女中を探しにいくが、おかみさんにきれいな子は駄目だと言われていたが、番頭から小遣いをあげると言われ、可愛い子を連れて来てしまう。そして、帰ってくると番頭から小遣いはやれぬと約束違反をされそうになると、旦那に訴えると脅してまんまと小遣いをせしめている。

「蛙茶番」でも伊勢屋の若旦那が拒否したがま蛙の役を、何とかやって貰おうと小僧の定吉に小遣いをやり、芝居を開けることが出来た。とにかく小僧達は本業以外の仕事はいくらかの金を出してやらないと動かなかったようだ。旦那のほうは何でも小僧を使えば済むものだと思っているから,重宝に定吉、定吉と声をかけているが、小僧にとってはいい迷惑で、事によっては金がないと動かない。

「薮入り」の噺でも鼠捕りをやり、一生懸命鼠を捕まえて、交番に持っていって金を貰い、しかも懸賞に当たって、割合大きな額の金を得て、親元に持っていく噺だが、これも小僧の現金稼ぎと言えよう。

「かつぎや」では旦那が小僧に薮入りに小遣いを渡しているといっているが、実際に「幕末百話」篠田鉱造著に拠れば薮入りには小僧たちに旦那から30銭,おかみさんから20銭、お袋さんから20銭下されるが,その外に平生ご祝儀物を持ってお使いに行くと、それぞれ心付けがもらえた。それを溜めておいて薮入りの時に分配金として貰い、家などに持って帰ることが出来た。この為、お使いは恨みっこないように小僧が順番にやるようになっていたという。

昔は一寸悪いことをする積りがあると口止めをすることが多かったようだ。「おせつ徳三郎」でお嬢さんのおせつと徳三郎の件を口止めしようと乳母が小遣いを小僧に渡したり、この口を開けようと旦那がまた小僧に金をやったり、小僧は二重取りして、双方から小遣いをせしめている。

同じようなのが「悋気の独楽」の定吉だ。妾のところに来た旦那の後をついて来た定吉に妾を通じて口止め料を渡し、家に帰っても言わないように言っておくが、小僧の方はおかみさんのところに戻り,二重スパイ説に引っかかって、旦那の話をしてしまう。

「足上がり」では芸者と芝居見物に行った番頭が小僧に小遣いを渡して、口止めをして置いたが、旦那から金を貰った小僧は約束を破り、全てをしゃべってしまう。
小遣い賃を貰えそうだと喜んで行ったが、当てが外れてしまうのもある。


「束髪丁稚」では、おかみさんの使いでお屋敷の奥方のところに髪結の世話のお礼にやられるが、番頭の言うにはお屋敷に行けば20銭の駄賃がもらえると教わったが、向こうで,おかみさんの髪の形を聞かれ、束髪で洋装に合うようにカネを外して白歯にしたという。カネは衛生に良くないからだというと、土産に半紙と手拭を呉れただけだった。
金(カネ)は体に悪いそうだと言われ、当て外れだった。

「使い賃」というそのものを表した噺もある。小僧が旦那に言いつけられて,画工のところに行くと、帰りに使い賃を呉れた。しかし別の画工のところに行くと、まだ出来てないと言われたばかりか、礼儀の知らない奴だと怒られる。そしてちゃんと手をついて挨拶をして、問い合わせるように言われ、練習させられる。小僧は言われる通りやり、最後に反古紙でおひねりを作り、「これは少ないが使い賃だ」といって渡す形をしてみせる。

「手切れ丁稚」では隠居が囲っていた女に小僧が金を届けることになったが、小僧に行ったついでに女の動静をさぐって来るように言われ、女の家で昼寝をさせてもらう。
空いびきをかいでいると、隣の部屋で女が情夫と飲んでいる。女は小僧が覗いているのを見つけ,心付けをやり、口止めをする。

「浮かれ小僧」は若旦那が一週間も家に帰って来ないので大旦那が心配して小僧に聞くと、「存じません」の一点張り。大旦那は策を巡らせ、若旦那がなかなか帰ってこないのは深い訳があるからで、小僧に一円やって聞いてくれというのだがと、水を向けると小僧は若旦那が芸者を囲っていることをしゃべりだす。

この様な小僧なら小遣い銭や口止め料ぐらいで可愛いものだが、犯罪に手を染めてまで金を得ようとするのも出てくる。「双蝶々」の長吉のように小さいうちから手癖が悪く,大家の世話で親が奉公に出したが、やはり性悪な子供は何処へやっても同じで奉公先で金を盗んだり、風呂へ行くと称して、夜道でかっぱらいをしていたりというのもある。

「蔵丁稚」の噺で芝居好きの丁稚が、用をいいつかった帰りに芝居を見て来て、帰りが遅くなり、蔵に入れられるが、あの子も多分自分の金を算段して行ったのだろうが、どうやって金をつくったのかは興味があるところだ。

小僧が小遣い銭稼ぎをする場は店の仕事の中で、適当に自分の才覚を使って、客の好奇心をくすぐって話しに値を付けこれを売り込むか、大人のこそこそと不道徳なことをするのを割合近いところで見ていて、これを口止めさせるために金を得ることであろう。

「双蝶々」の長吉のような場合を除いて、一般に小僧はそんな悪いことは出来ない。
何年か辛抱して仕事に励めば旦那からちゃんとした給料を貰えるし、手代、番頭と出世して行く事もわかっているから、遠い将来を夢見て、夫々の職務に励まなければならないと自覚していたし、旦那に対する忠、親に対する孝の道は自ずと教えられていたのであろう。
しかし、店の勤めは辛い時がある。こんなときに癒して呉れるのが芝居であったり、本であったりしたのであろう。だがこれもやはり金が要る。そのためには小僧は小僧なりに稼ぐ道を求めていたのであろう。落語ではそんな様子が面白くもあり、また哀しい噺として語られて居たのであろう。


平成18年1月
posted by ひろば at 06:52| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/33625748

この記事へのトラックバック