2007年07月01日

【076】落語家の引退(鈴木和雄)

三遊亭円楽さんが引退を表明したのが平成19年2月25日の国立演芸場の落語研究会で「芝浜」を口演した後であった.奇しくもこの演芸場で昭和46年(1971)1月に五代目文楽さんが引退の切っ掛けとなった「大仏餅」の登場人物の名前が出ないということで、高座を途中で下りたところでもあった。

「大仏餅」はある雪の晩に河内屋の店の前で血を流してうずくまっていた子供連れの盲目のおこもさんを店の旦那が面倒を見てやると、縄張りを荒らしたという事でそこのおこも連中にやられたという。家に入れて傷の面倒を看てやり、丁度その日は家の子供のお祝いの日だったので、余り物をやろうとすると、差し出された面桶(めんつうー入れ物)見て驚いた。朝鮮伝来の水こぼしを使っている。

いろいろ聞いて見ると、かって芝片門前でお上の御用達をしていた神谷幸右衛門のなれの果てだったと判った。文楽さんはこの神谷幸右衛門の名前が出て来ず「勉強して出直して来ます」といって高座を下りた。そしてその後高座に上がることなく、引退の記者会見もなく、静かに我々の前からその姿を消したのであった。

1892年生まれの人であるから、当時79才だったが,まだまだ正蔵さんや小さんさんの事を思えば、まだまだ活躍のできる師匠であった。 単なる度忘れというには相応しくない深刻なショックを受けたのであろうか。私たちもこの頃、物事を忘れることが多いいが、これは余りショックを感じないことが多い。人の名前もTVで見る俳優やタレントの顔はしょっちゅう見ていて、一度は憶えても、直ぐ忘れてしまい、あの人は何という名前だったのぐらいにしか感じない。これは自分の生活に何の影響も与えないせいだろう。

しかし、しゃべることを生業としている人にとって、人の名前は大切であり、ましてや噺の登場人物の名前となると、客も知っており、誤魔化すことは出来ない。直ぐに客の方から非難の声が上がるから演者は必死である。文楽さんはこの時、限界を感じたので自ら高座を下りたのであろう。 2月27日付きの朝日新聞の「天声人語」によれば、文楽さんはこの様な事を予感してか、以前から、もしもの時のため、絶句の時の口上を練習していたというから、既にご本人は体調を考え、いざの時に備えていたのかも知らない。

円楽さんも平成17年10月に脳梗塞で倒れられてから、不撓不屈の精神でリハビリに専念し、あと、少しずつ復帰の高座を勤めておられたが、2月25日の国立演芸場での口演を試みの場として、さらに活動をしようとしていたが、やはり実際にやってみて、及ばずと判断されたのか、口演後の記者会見ではっきりと引退を発表したのである。
その理由として「呂律が廻らない、ニュウアンスがうまく表せない。」といっていたが、さらに後日,TVの質問に答えて「口演中に、今まで一度も経験したことがない雑念が入ってしまった。」といっていた。そして「客に甘えた恥ずかしい芸を見て貰いたくない」とも言っていた。

江戸っ子の円楽さんらしい完璧主義を貫こうとする落語家の心意気を見たような思いを感じたのである。 しかし、これからは体をいといながら高座に上がらなくとも後進の指導や執筆活動に励んでいただきたいと思うものである。

落語家は我々サラリーマンに比べれば、定年はないし、自分のやりたいだけ働くことができる稼業であるが、やはり年を重ねるということは自然の摂理に従うことになり、身体が衰えると共に脳の働きによって動く諸機能も衰えていき、引き際を迫られることが生じるのであろう。

円蔵さんがよく話していた、「あなた方は『噺家は定年がなくていいな』とおっしゃる。確かにサラリーマンのように会社から決められた年令になったから辞めてくれと言われることはない。
正蔵さんのように80歳を過ぎても、舞台の裾から中央の座布団の敷いてある処まで歩いていければ、いくつになってもお客に噺を聞いてもらうことは出来る。

しかし定年はない代わりに何時、落ち目になって後輩に追い抜かれ、明日からの仕事がなくなってしまうかという不安な日が来ないとも限らない。これは定年より怖い」と言っていた。
だが、定年より、落ち目よりももっと怖いのは病気であろう。あんな元気だった談志さんや「笑点」で大きな声で「チャランー」なんて騒いでいた、こん平さんも病のために高座を遠ざかっている。

談志さんはラジオやTVに顔を見せてくれ相変わらずの毒舌を聞かせてくれているが、一時は淋しかったものだ。
この数年だけ見ても病になり、帰らぬこととなった噺家は多数おられる。平成年間で調べてみてもこの八、九年で次のような方々があの世に行ってしまわれた。

春風亭 柳朝 さん(平成 3年 2月没)
古今亭 志ん馬 さん(平成 6年 9月没)
桂 小南 さん (平成 8年 5月没)
三遊亭 小円馬 さん(平成11年 7月没)
桂 枝雀 さん (平成12年 春 没)
桂 三木助 さん(平成13年 1月没)
古今亭 右朝 さん(平成13年 4月没)
古今亭 志ん朝 さん(平成13年10月没)
柳家 小さん さん(平成14年 5月没)
春風亭 扇枝 さん(平成14年 7月没)
春風亭 柳昇 さん(平成15年 6月没)
桂 文治 さん(平成16年 1月没)
三遊亭 歌奴 さ ん(平成16年 4月没)
桂 文枝 さん (平成17年 3月没)
桂 文紅 さん(平成17年 3月没)
林家 染悟楼 さん(平成17年 3月没)
桂 文朝 さん(平成17年 4月没)
三笑亭 夢楽 さん (平成17年10月没)
桂 吉朝 さん(平成17年11月没)
三遊亭 円右 さん(平成18年 3月没)
三遊亭 円弥 さん(平成18年 4月没)
柳家 小せん さん(平成18年10月没)

この内、40才台、50才台の人たちがいるが、まだ働き盛りの人でこれからが属望された師匠方であったが、途中降板を余儀なくされ、誠に残念である.芸人は亡くなるとその蓄えた芸も一緒に持っていってしまうので非常に惜しまれるものである。

今はビデオやDVDがあり、昔と違って姿も音声も残されており、元気な時の様子がいつでも見ることが出来るが、これとても俤をしのぶことは出来ても、ご本人の本当の生の口演の姿は見ることが出来ず、誠に残念といわざるを得ない。

私達の落語会の皆さんも身体の手足と脳の健康に努め様じゃありませんか。 昔はボケといわれ、今は認知症と言われている症状の兆しは物忘れから始まるといわれる。 始め度忘れぐらいで片付けられるが、固有名詞を忘れるぐらいは誰方にも起きるもので、まあ、いいとしてその内、普通名詞も口から出なくなり「これ」「あれ」で話すようになると、怪しくなるという。「あれを取って呉れ」「これをあすこにやって呉れ」といっている内に、脳がさび付いてしまう。

何時も身体の末端である手足をよく動かして、脳の活性化に努めることが大切だといわれる。
そして噺を聞いて大いに笑い、肺活量を上げ、血行をよくする事で汚血を体外に排出し、健康的な毎日を送ろうではありませんか。

平成19年7月
posted by ひろば at 07:37| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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