2008年01月01日

【081】お稲荷さんと狐(鈴木和雄)

昔の江戸を述べた言葉に「火事と喧嘩は江戸の華」と言うのがあるが、これは江戸っ子が自分達の気風の良さを表現するものとして述べたものであろうが、一方、「伊勢屋、稲荷に犬の糞」と言うのもある。これは関西人が江戸について悪く言ったものではないかという気がする。この三項とも江戸には沢山あった事を述べたもので、伊勢屋は関西から出てきた商人の店が多数あることを述べているし、稲荷も京都の伏見稲荷の勧請された社があちこちにあったことを示しているが、最後の犬の糞は神様と犬の排泄物が一緒に並べられているところが大変非礼に感じられ、関西人の悪口のように思われる。

とは言え、このお稲荷さんは当時の江戸には沢山あったそうである。岡本綺堂著の「風俗江戸東京物語」に拠れば大小合わせて五千有余社あったと言う。一町内に1−2社は必ずあったと言うことである。「稲荷信仰」直江廣治編でも当時日本全国で神社が約8万社あり、その内、稲荷社が3万社で、これも伏見稲荷に勧請されているもののみで、個人の屋敷内にある屋敷社や道端に祭られている小さな祠を入れたら大変な数になると言うから、その昔、お稲荷さんが如何に人々に信仰されていたが判るというものであろう。

そうゆう所から落語にもお稲荷さんとお使い姫と言われる狐の噺が割合多く取り入れられているのであろう。
そもそも稲荷が昔、何故、民衆に受け入れられたのか、伏見稲荷の創記について、同大社のhpに拠ると「中国の秦氏が朝鮮を経由して日本に来て、同氏の先進的な土木技術と養蚕及び機織技術を日本に伝えることにより栄えた。そしてその子孫の伊禰奈利が創社し、従来からあった稲作を司る田の神信仰を伊奈利信仰(稲荷)に導き、広く農民の信仰を得たと言う。

そして稲作りに関するばかりでなく、養蚕、機織の技術が一般庶民に広まり、商業の方面においても注目されるようになり、稲荷信仰は益々栄えていったと言う。このため神社、祠が各地に設けられ、京都の伏見大社のみならず各地の中小の神社も人々の参詣の対象となった。

噺の中で稲荷のご利益を述べているものは「御神酒徳利」に出てくる神奈川宿の鴻池の定宿となっている新羽屋の屋敷神であろう。江戸の番頭の善六が鴻池の娘の病を占いに行く途中で泊まった旅籠のお稲荷さんの社が嵐のために壊れたのにも係わらず家人が修復をないがしろにしたため、怒って下女の身を借りて、盗みをさせたと宿の女将に伝え、番頭自身と下女の身を救い、かつ、大店の娘の病も治したと言う。お稲荷さんの力は偉大だと言う事を聞くものに語っている。
また、「宿屋の富」に出てくる日本橋堀留町の椙の森神社は古い文献では堀留町の杉の森神社と出ているそうであるが、これは全く同じもので、江戸の稲荷社の一つであり、ここで富籤が千両当たっている。「宿屋の富」は江戸の噺であるが、これも元になる上方の「高津の富」の大阪の高津神社も高倉稲荷が併設されており、ここも富籤が当たった縁起のいい社である。この高倉稲荷は「高倉の狐」の舞台であり、「稲荷車」の発端にもなっているそうである。

更に上方噺の「崇徳院」の若旦那が恋に落ちた絵馬堂が高津神社の境内にあり、「延陽伯」(江戸噺の「たらちね」)にも出てくる場所だそうだ。「高倉の狐」は江戸の噺の「王子の狐」の別名として落語事典に紹介されているが、東京では王子稲荷のご利益について話されており、そのお使いである狐を苛めてはいけないことを諭している。

噺の中では大体が狐はお稲荷さんのお使いとして話されている。どうして狐がそのような形で尊ばれたかと言うと、これにはいろいろな説があるという。一説には中国の陰陽五行説を信じる秦氏が中国から来るときに狐を連れてきたとか、狐の主食が動物質で夜出てきて、鼠,兎,もぐら、蛙、昆虫を取って食べる。ことに穀類を食い荒らす野鼠は作稲時、及び貯蔵時にも出て来て、人間の食糧にまで莫大な被害を及ぼすことがあり、狐がこれらの害的動物を捕って呉れるので、人間にとっては助けとなりありがたい存在となり、崇めたという。

また、「狐(陰陽五行と稲荷信仰)」吉野裕子著に拠れば、中国の陰陽五行説で、狐の毛皮の色が黄色であり、これが木、火、土、金、水の五元素のうちの土気を象徴し、中央に位する色であるから尊いといっている。であるから狐は土気象徴の化身と見なされ、土は農の基であるから、土徳の神として信仰の対象になったという。このため稲荷の御本体の神は狐そのものだと言う説もあるようである。

こうなると「王子の狐」のように人間が化けた女狐に酒を飲ませて、支払いをさせようとして、料理屋の使用人たちに棒や箒で背中や腰を打たれて、痛い思いをさせた恨みは大きく、その祟りは怖いに違いなく、料理屋の主人や使用人たちはあわててお稲荷さんにお詫びに行くし、騙した男も友人に注意されて菓子折りを持って狐の所に詫びに行っている。

「紋三郎稲荷」でも常陸国笠間藩の侍が江戸勤番を命ぜられ、風邪のため同僚に遅れて出発したが、病を気使い狐の皮の胴服を着て出かけた。途中、駕篭に乗ったが少し気前の良く駕篭賃を払う約束をしたため、駕籠かきが客が紋三郎稲荷の眷属ではないかと信じてしまう。侍も一寸いたずらに胴服についている尾っぽなどをちょろちょろ見せたものだから尚更信じてしまい、宿に着くとそこの主人にその話をしている。主人がまた稲荷の熱心な信者で侍を下にも置かない持て成し振りである。更に話が近所まで広がり、近隣の人達まで賽銭、供物まで持ってくる始末。侍はいたずらが過ぎたと反省し、後の祟りが怖いと逃げ出そうとすると、旅籠の庭にある稲荷の祠に住む狐がこれを見て「化かすのは人間にかなわない」といったとか。

「稲荷車」は上方噺で前述した高津神社に併設してある高倉稲荷に関する噺だと言うことであるが、東京の噺では無尽で当たった大金を持って上野から王子まで人力車に乗った男が、正直者だが臆病な人で、これもいたずら気を起こして、王子稲荷の使いの狐だと言って車をただ乗りしてしまう。車夫が客を降ろして長屋に帰り、車を調べると風呂敷包みがある。開けてみると中に大金がある。車夫はこれは稲荷が授けてくれた金だと思い、長屋の連中を集めて大盤振る舞いをしてしまう。金を忘れた男が尋ねてきて車夫に問うと、福の神のご入来と皆に歓迎されてしまう。稲荷の使いと偽った罰があったか。

「木の葉狐」では踊りの師匠が夜、寂しい所を通り掛ると、後から男の二人連れが来たので「私は王子稲荷の使いの者だが、犬に吠えられて困っているので道連れになってもらいたいと頼み、無事暗いところを過ぎることが出来た。御礼にといって木の葉を拾い、小判に通用するといって渡したら、男達は早速吉原に行って使い大恥をかいた。

狐を助けたためにいい事もある。島三郎と言う遊びが過ぎて勘当になった男、居候をしていたが、以前食べものを与え、助けてやった狐が恩返しに、昔、島三郎といい交わした仲の吉野という者という振込みで男の居候先に金を預け夫婦にしてもらい、商売を始めて大いに繁盛する。

「明烏」でも息子の時次郎が町内の近所のお稲荷さんの初午に祝儀を持って行き、そこで赤飯をご馳走になり、喜んでいると家主の息子に相応しくないと親に意見される。初午とは何かと伏見稲荷のhpを見たら元明天皇の和胴4年に稲荷社を創社する事を定めた日が二月の戊午(みずのえうま)の日だったので以後この日を初午と定め、お祭するようになったとある。そしてこの日あたりが農耕の開始期であり、田の神を迎えて、農事の無事と豊作を祈ったものと言う。

時次郎はいつも本ばかり読んでいて体に悪いし、第一、商人の子が遊びの一つも知らないと商いの切っ先が鈍るから勉強して来いと、町内の遊び人を先生として、浅草の観音様の裏手にあるお稲荷さんにお篭りをして来いと金と身なりを整えてもらい、吉原に行かされる。
確かに吉原には九郎助稲荷、榎本稲荷、明石稲荷、開運稲荷とあり、後に吉原神社と合祀されたが、何処の稲荷に行くつもりだッたのか。

本当にお稲荷さんを信仰するのなら良かったが、変な観音様ばかりを信仰した為に
罰が当たり花魁に入れ込んで果ては勘当の憂き目を見ることになる。

この他、上方噺では狐つきの噺や狐に騙される噺が多いそうだが、いずれも稲荷のお使いである狐を大切にしなかったから起こったものだと言う思想があったようだ。有名な「七度狐」なども今は二、三話しか聞けないが、お使い姫である狐をないがしろにしたため、いろいろ騙される人間の弱さを表しているのでは無いだろうか。

昔は人間の世界に狐などの獣が出て来て親しみをもって迎えられていた。殊に狐のように人間に役にたつと思われていた時代は尊崇の念を持って見られていたので、山から降りてきて稲田の周りで食物となる鼠などの人間にとって害的動物を捕ってくれ、子狐を連れてまた山に帰っていく姿は微笑ましく、思わずなにやら神霊的なものを覚え、稲荷様即ち田の神の御威光を感ぜざるを得なかったのであろう。

この様に稲荷信仰は江戸時代には庶民の信仰を集め神社に参詣する人たちも盛んな数となったのだが、岡本綺堂氏の言う通り、明治になってからは、社の数も減り、また信者も少なくなったようで、現代に至っては限られた人達しか参詣に行くことはなくなったという。
田の神、農業神を崇拝する農業に係わる人達の関心も少なくなって来たのであろうか。

稲荷のお使いである狐のお出ましの機会もなくなってしまった。野も山も昔と違い大規模に開発されてしまい、狐が住む場所も出て行くところも無くなり、人里に出てきても餌となる鼠や蛙などの小動物も農薬などで排除され、いなくなってしまった。

更に悪いことには、狐はエキノコックスという条虫を伝搬する動物とされ、北海道などではキタキツネが可愛いと言われながらも、人間の真近かに来ることは避けられてしまい、昔のように鷹揚に住むことは出来なくなってしまった。今はお狐さんの姿は街中ではお稲荷さんの社前でしか見られなくなってしまったようである。




平成20年1月
posted by ひろば at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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