2008年03月01日

【083】ちんこ切り(鈴木和雄)

なにやら昭和初期の猟奇事件の阿部定を連想させる題名だが、実はこれから述べるタバコに係わる昔の職人の仕事の名前である。

コロンブスが1492年に西インド諸島で、そこの住人が何やら口から吸って煙を鼻から出している姿を見て驚き、タバコなるものを目にして、そこから世界に広まったと言われる。この時は日本では明応元年で足利幕府の中期頃だという。

当時、スペインとポルトガルは新世界を求めて、スペインは西廻り、ポルトガルは東周りで、それぞれの航海を行い、ポルトガルは種子島について鉄砲を伝えたり、フランシスコ・ザビエルがインドを経て日本に到達し、江戸まで来たりしていたが、一方、スペインは西廻りでフィリピンまで来ており、そこから日本に来て慶長6年に徳川家康が病を得た時にいろいろな献上品を差し出した中に、タバコの種があって、これが日本でのタバコの伝播の元になったという。

タバコという植物の種の伝わった年については諸説あるようで、慶長4年、同6年、同10年とあるが、記録では慶長6年に伝わり、長崎で同10年に植えられたと言われている。

しかし、これは種子が伝わった年を言っているのであって、タバコを吸うことはこれより20年前からあり、天正、文禄時代から既にタバコの葉が日本に入っていた事を示していると言う。

タバコはそもそも、薬草として吸われたという。タバコの煙を吸うと、何やら頭がボーとして心地よくなるため、呪術的な使い方もされたようだが、体の具合が悪い時にこれを吸うことにより、身体を治す効能を期待して使用していたと言われる。

実際、中国に16世紀末から17世紀始めにかけてタバコが入ってきた理由としては感冒マラリヤの特効薬として使われたばかりでなく、全身のむくみを治したり、コレラのような伝染病についても効果があるということで珍重されたという。

今ではタバコは諸病の根源とされ、「禁煙、禁煙」と言われ、家族の目の前でもタバコを吸うことは禁じられ、灰皿を持ってまごまごする親父さんがいるが、タバコはいまや嗜好品の域から閉めだされ様としている。

タバコは始めは乾燥させたタバコの葉を細かくして、広葉樹の葉にくるみ、ラッパ状にして、タバコの粉に火をつける部分と口で煙を吸うほうとで喫煙をする方法を取ったが、日本に来た時の始めは竹の筒の片方にタバコをつめ、火をつけて、反対の口で吸っていたが、中国、朝鮮を経て、タバコの葉が来て日本人が吸う頃には、中国で使っていたキセルが一緒に来たのか、タバコはキセルを使うものとされていたようである。

中国人がキセルを使ってタバコを吸ったのは、当時、既に阿片があの国で吸われていて、これを吸うにはキセルが使われており、タバコも同じようにして吸ったためであるという。
煙を通す竹の筒の前後にタバコの葉をのせ、火をつけるための受け皿となる雁首と吸口がつけられた。

夢之助さんが噺の枕でキセルは外来語でクシェル(Khsier〉というカンボジヤ語の筒という意味から来ているといっていたが、お客はこれを聞いて大笑いをしていたが、「タバコの歴史」上野堅實著に依ればこれは本当だという。

また円生さんが演じていた「紫壇楼古木」という噺があるが、これは古木という商人が「羅于問屋」の主人だったが、この人が趣味の狂歌にうつつを抜かしている間に雇い人の番頭に穴をあけられてしまい、店が潰れてしまったため、自分で羅于の掃除の商売を始めた噺であるが、この羅于も安南語であり、パイプの事を指すが、これに使われる竹は斑紋がある現地産出の竹であることから、タバコのパイプを扱う商売を羅于屋と言ったそうである。

この羅于屋は太平洋戦争の直前まで東京で見られた商売であるが、紙巻きタバコが流行るようになってからは商売が成り立たず無くなってしまった。
タバコもキセルなどの喫煙道具がそろってくると、味は勿論であるが、火付きが良く、髪の毛ほどに裁断されたタバコが好まれ、各地から良質なタバコが出荷されてきたが、中でも「華は橘、タバコは国分」というように鹿児島国分産のタバコが珍重された。

このタバコを刻むのは当初はタバコを吸う人が自分で包丁で数枚の乾いたタバコの葉を刻んだのであるが、商品化してその量が多くなり、タバコの葉を刻む職人が出て来てその作業をやるようになり、この人たちを賃粉切り(ちんこぎり)と言ったそうである。

しかし日本人の技術の発想力は素晴らしく、その内、かんなを利用にして、タバコの葉を髪の毛ほどに削ったり、京都の織物の西陣に入れる金糸を切る技術を応用して、容易に、早く、しかも大量に切っていく機械も考案されて、タバコの需要に対処していったのである。

タバコが盛んに消費されるようになると、当時は余り健康のことは考えなかったが、町に暴力団まがいの徒人や伊達者が現れ、1メートル以上のキセルを振りまわし、町内で騒いだり、傷つけあったりして,市井の人達に大いに迷惑を及ばしたため、徳川幕府はタバコの喫煙の規制を行ったという。

さらに進むとタバコの栽培が盛んになり、タバコを作付けした方が収入が良いので米の生産する田畑を潰してまでタバコの木を植えるようになり、年貢そのものに大いなる影響を及ぼすようになり、植栽の規制を掛けるようになった。しかし、年貢の係わる米の生産用地以外の新地にあっては余りうるさく規制されることは無かったといわれる。
タバコに係わる規制も幕末には無くなった。

日本には葉巻タバコやパイプタバコ,咬みタバコ、水タバコのような物は伝来せず、刻みタバコが主としたものであったので、中国等から伝わったキセルでのむタバコの風習が大いに広まったのであるが、その為、落語に出てくるタバコの噺も主としてキセルを介しての噺が多い。

円生さんのお得意の「浮世床」では将棋に夢中になっている二人のキセルの雁首や吸い口をとり、一本は雁首ばかり、他方は吸い口ばかりにしてしまい、それとは知らぬ二人はタバコを吸うことが出来ず、まごまごする悪戯話や「岸柳島」に出てくる侍が渡し舟の中でタバコを吸うときに船べりでキセルをはたいて銀の雁首を落としてしまう噺もある。

当時、銀製品は高価なもので贅沢品であったという。幕府はタバコの用具でキセルとかタバコ入れ、キセル入れ、根付等が豪華になったので規制をかけたという話もある。
キセルに関しては花魁と若旦那の間の噺で「キセル返して」というのとか、「タバコ好き」という噺で特製のキセルを自慢する男が、別のキセルを沢山持つ男にタバコを執拗に奨められ、いやになって逃げ出し、逃げ切る事が出来て、やれ、一服という。余り聞かない噺である。

キセルでタバコを吸った最初の女の人は長崎の花魁だそうだが、色街の女はよく長いキセルを窓から出し客を呼んだり、キセルを客の袖にからめて強制的に呼び入れたりしたといわれる。 今は咥えタバコというのは余りはやらないが、昔は「咥え煙管(キセル)」という噺にあるようにキセルを咥えながら仕事をする人が多かったそうだ。

その為、「咥えキセル無用、脾(ひ)の用心」という張り紙が店にあったという。咥えキセルは仕事の能率はさることながら火事を怖れてのことであり、脾の用心は火の用心に掛けているのだが、食べ過ぎ,飲み過ぎをしないように胃腸を心配しての噺だという。
キセルはよく掃除をしないとヤニが詰まり、タバコが美味しくのめない。そこで半紙で紙縒りを作り、キセルを拭いて,ヤニを取るのがタバコ好きの一仕事であるが、「三枚起請」ではこの掃除のために反古同然の起請文を使ってキセルの掃除をしようといっている。惚れた弱みで高い金を払って、貰った起請文であるが、今はタバコの掃除用具の価値しかないものとなっている。

しかし、このヤニが役立つことがある。「田能久」に出てきた狸のお化けが田能久に嫌いなものはタバコのヤニであることを告げたばかりに、彼は村に無事たどり着き、村人にタバコのヤニを撒く事を教え、化け物退治をすることが出来た。

タバコの火が噺の中で取上げられているのは「笠碁」。碁を打ちながらタバコを吸うため灰吹きに吸殻が入らず、畳のあちこちに焼けこがしを作ってしまい、火事を恐れた奥さんが碁を打ちながらのタバコを禁止する。昔は火事が多かったが、タバコもその一因だったという。

「長短」では気短の男が吸ったタバコの火玉が袖の中に入ってしまい、気の長い男が注意をする頃には袖の中から煙が出る始末だ。同じ焼け焦げを心配するのが「普段の袴」。侍が武具屋でタバコを吸うと火玉が袴に落ちる。店主が心配すると普段の袴だからと動じない。これを見ていた町人が真似をしてやるが、キセルの掃除が出来てないため,火玉が頭の上に落ち、あちっち、普段の頭だとやせ我慢。

単なるタバコを吸う情景としては「船徳」の客の二人が徳さんの漕ぐ舟の中でタバコの火をつけようとするが、揺れる船の中でなかなか点かず苦労している。「欠伸指南」でも同じ舟の中の情景だが、師匠に言われた様にはうまく真似が出来ず、友人に笑われている。

「夢金」では強欲な船頭の金公が侍に一服やれといわれて、酒代が出るものと勘違いし、一喜一憂している。「位牌屋」では、けちな旦那が、芋売りから芋をただで召し上げ,さらにタバコまでかすめ取り、芋屋の怒るまい事か。

「子別れ」では女房、子供と別れて三年目、棟梁が前非を悔いると共に一緒に暮らす事を願って鰻屋の二階で再会し、復縁を求める段で、タバコを忙しく吸ったり,はいたり、心を写す様子を表している。

タバコが人間に用いられた当初は薬草としての効能を期待したものであり、その為、高価なものであったが、段々栽培が広く行なわれるようになり安価となって来ると、嗜好品となり、習慣性のある品となり、人間の身体に悪影響を及ぼすようになってきた。
最近では薬草どころか、人の健康に重大な病気をもたらす原因となり、肺ガンの死亡原因の一位となったしまった。実際,私の周りでも、チェ−ンスモーカーを自認して、朝から寝るまでおいしそうにパイプタバコや紙タバコを吸っていた人達は平均寿命に至ることなくあの世に旅立っている。

タバコのように習慣性があるため、なかなか別れられず、わざわざ高い金をかけて、ガンの素を吸うこともあるまいと思うが、これが人間のかなしさか何時までもタバコに別れが告げられない。早く関係を断ち切り、コロンブスに恨みを言ったほうがいい。


平成20年3月
posted by ひろば at 08:19| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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