2008年05月01日

【085】寄席の木戸銭(鈴木和雄)

悋気の噺の枕で、よく夕食を済ませて、旦那が寄席にかこつけて、おんなの所に行こうとすると、おかみさんがやきもちを焼いて快く送り出しては呉れないので、家で酒を飲みだし、いつもこれが続くと、結局は酒による病気になってしまうという例と、逆におかみさんが旦那の外出を気持よく送り出そうとするばかりか、自分を含めて、女中や小僧まで一緒に連れて行ってくれとねだり、つまるところおかみさんの機転で旦那の健康が守られるばかりか、使用人にも楽しみを施すことが出来、更に寄席も潤うという話をしている。

昔の寄席はこの様に夕食を済ませて出かけて行っても充分間に合うほど身近にあったようだ。今のように映画もなし、テレビもなく娯楽施設が不十分な時代は簡単に行ける娯楽場は寄席ぐらいしかなかったのであろう。勿論、吉原はあり、矢場(揚弓店)もあったが、これは若い人の遊び場で大人のゆっくりする場ではない。

他に歌舞伎が庶民の楽しみの一つであったが、これは寄席ほど手軽でなく、朝から晩までかかる遊び場でしかも木戸銭が寄席に比べれば格段に高い。そんなに簡単に行けるものでもなかったようだ。それに芝居小屋の数が少ない。

その点、寄席は昔の町内に1軒や2軒は必ずあった。小木新造著「東京(とうけい)時代」に拠れば明治の初期の話であるが、当時の江戸改め東京区域の中に125軒の寄席があったという。この本に出ている東京日日新聞の記事の記録に当時の東京の各区に約4−10軒の寄席があり、これは有名なものだけを書いてあると言っているから、これらの他に小規模な寄席が多々あったようである。

この新聞記事によると、私達が今、知っている有名な寄席では上野の「鈴本」や「本牧亭」が記されており、この両亭とも古くからあったのだなと感心させられる。前述の著書に拠れば、寄席は江戸の文化年間から天保年間にかけて徐々に増えていったが、一時、天保の改革により減らされたことがあったが、安政年間になると落語寄席だけで172軒、その他に講談の寄席もあったという。

幕末になると維新の大騒動で落語どころでなく、噺家も芝居の連中と共に地方周りをしていたが、維新が治まると、以後また増え始め、明治3年には120軒、明治中期には255軒にもなり、有名な噺家は1日に昼夜合わせて5軒もの寄席を人力車に乗って駆け巡っていたという。


寄席が如何に庶民に愛されていたかはその入場者が多かったことが示している。小木氏の著書には明治12年の年間入場者数が340万人であると記されている。この期の歌舞伎の入場者数は5分の1だったという。これは勿論、木戸銭の相違によるところが多いのではないかと想像される。

歌舞伎は朝の7時から始まり全部見ようとすれば約10時間から13時間かかり、寄席の昼夜各4時間と比較すれば楽しむ時間が全く違う。しかも歌舞伎の場合は桟敷席に入り、時間が来れば、弁当を取る必要があり、その為に出方にチップを出さなければならないと言うこともあり、歌舞伎見物はある程度の懐に余裕がなければならなかった。

その点、寄席の方はそんな心配もなく、夜などは夕食を摂ってから行ってもいいから食事代はいらない。それに桟敷席の4人では狭くてぎこちないが、寄席は空いていれば寝転がって聞いていても誰も文句を言うものはなく、心やすく楽しめた。

木戸銭では寄席と歌舞伎では明治期では約8倍の差があったという。
江戸時代は寄席の木戸銭は割合大きい2階建ての200人ぐらい入る寄席は元禄から文化、文政期には32文だったというが、天保期になると、色物が入って来て48文になったという。今の金にすると1文が16円ぐらいだから512円から672円ぐらいだろうか。

一方、歌舞伎の方は「蔵丁稚」に出てくるような芝居好きな小僧たちが見に行く席の土間札で1日見をすると上席で132文、下席で100文だったと言う。今の金で2112円から1600円ぐらいか。

他方、上客になると桟敷席に入ることになるが,1桝が25匁で、1両は60匁であり、1両10万円で換算すると、約42000円となり、1桝が4人入るから1人10500円となり、現代の入場料とそんなに変らなくなる。(今、歌舞伎座で桟敷席17000円/人、最低席で2500円/人)

もっとも前述のように弁当代や出方に払う費用を考えれば実際にはもっとかかったのであろう。この様な具合だから噺の「足上がり」とか「浮世床」「なめる」に出て来る芝居見物の観客たちは結構な金を使っていることになろう。

桟敷席と言えば相撲見物にも桟敷席がある。江戸の元禄期には相撲の桟敷席が43匁で一人分は11匁弱だったと言う。土間席は1人3匁だという記録がある。これを今の両国国技館の入場料と比較すると土俵の溜り席は1人14300円、桟敷A(4人席)は45200円となっており、1人11300円になる。先の江戸期の桟敷席の1人当たり18000円と比べてもそんなに高いわけでもなさそうだ。
当時の職人たちの代表である大工の手間賃は1日3匁で、少し上になると4匁2分というからまあまあだが、歌舞伎はなかなか容易には行けなかったであろう。芝居好きな小僧とても相当、小使いを貯めないと行けなかったはずである。

明治期になると寄席の木戸銭は小木氏によると明治12年1月に平均の所で東京旧市内で一人2銭6厘だったという。 同14年には3銭になったが、当時の大工の日当が50銭であったと言うから、寄席に容易に行けたが、左官の手伝いの人達は1日15銭ぐらいだったそうで、こうゆう人は寄席などに来る余裕もなく、ましてや歌舞伎などは手の届かぬところだったのだろう。

入場料だけで比べて見れば歌舞伎のそれは、ある芝居小屋の桟敷代(上等)で2円、高土間代(上等)1.7円、平土間代 一人25銭,下等、一人7銭―4銭であったそうだ。
芝居の平均入場料は年によって異なるが26銭から18銭だったそうである。
日銀の貨幣博物館に聞いたら、当時の1円は今の金に換算するには3000倍すれば目やすになると言っていたから、桟敷代の2円は約6000円、一人1500円と言うところだろうか。

寄席は木戸銭と下足代と座布団代を含めても5銭程度で済み、芝居を見に行くよりは安く上がり、しかも身近にある。自ずから観客数に相当な差が出てくる。
昔は寄席は都会地に限られており江戸だけでも200軒前後がいつもあり、庶民に娯楽を提供していたが、現在は逆に都会では東京で言えば定席では上野の鈴本、新宿の末広亭、浅草の演芸場、池袋の演芸場、それに国立演芸場となっていて、それに不定期に上野本牧亭、両国亭、日本橋亭などがあるくらいである。

数年前に円楽さんが建てた若竹があったが、敢え無くダウンしてしまった。今また笑のブームが来て,テレビなどで漫才やコミック・グループが盛んに騒いでいるが、落語の方は乗り損ねた感がある。しかし落語には地域寄席と言う地道な支えがあり、今は都会だけでなく日本中各地の集会所、店、寺等を利用し、割合定期的に落語会を開催している。
私達の大和田落語会もその一つであるがじっくりと、その内、名人となるであろう人達の噺を直にたっぷりと、江戸落語を楽しむことが出来るのは嬉しいことである。


平成20年5月
posted by ひろば at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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