2008年06月01日

【086】何でこう読むの(鈴木和雄)

よく無筆の人の噺の枕に話される「たなという字」という小噺がある。友人から借りた羽織を返しに行った八五郎が、友人が居なかったので、羽織を置くと共に置手紙をして帰って来てしまう。 後で友人がその手紙を読んで、怒って八五郎の所に来て、「何故大事な羽織を質に入れてしまったのだ」と問いただすと、八五郎は間違いがあるといけないから手紙を書いておいてきたのだという。その手紙をもう一度見ると「七におく」と書いてある。八五郎は「七夕」の「七」は「たな」と読むから、棚の事を指すのだと思っていたのである。友人の方は「七におく」とは質屋に質入するものだと判断して八五郎に詰問に行ったのだが、とんだ八五郎の無筆振りを表わした失敗だった。

今でも私達は「七夕」と書いてあれば「たなばた」と読み慣わしている。何故こんな読み方をするようになったのであろう。先日のNHKのラジオの言葉の読み方の解説の中で「七夕」は元々「たなばた」と読むものでなく、本来は「棚機」と書くべきもので、織姫が棚機で布を織る姿を表しているものだったが、七月七日の夕辺に天の川をはさんで織姫星と牽牛星が遭うと言うロマンチックな話が出来たところから「七夕」を「棚機」を混乱して読むようになり七夕=たなばたが定着し、私たちもそのまま読むようになったのだろうという。

同じ様に読み慣わしている言葉に「美人局」という言葉がある。落語では「姫かたり」という噺があるが、年の暮に浅草の境内で供侍とご老女を連れたお姫様がある店に寄っている最中に、急病になり倒れる。そこで医者の家に担ぎこまれるが、医者が診察をしようとして、姫様の胸に手を入れた途端に供侍や老女が騒ぎ始め、みだらな事をしようとしたとして、金を要求する。医者は大金を払うことになるが、これも一種の「つつもたせ」で、漢字で書けば「美人局」となり、今、書いているこのパソコンでも、ストレイトにそのまま出てくる。

これも私達が読み慣わされた文字であるが、どうして「美人局」と書いて「つつもたせ」と読むようになったか。インターネットの「語源由来辞典」によれば「つつ(筒)もたせ」には元々は女が男を誘惑して金銭をゆすり盗るという意味はなく、本来は博打の用語で、博打で使う「さいころ」を指して「筒」と言ったもので、いかさま博打で細工した筒を使う事を言ったそうである。一方「美人局」とは中国の元の時代に行なわれていた犯罪で、公娼が青年や少年を誘い、事に及ぼうとした時に、情夫と称する男が出て来て、青少年から金品を巻き上げる事を指したもので、日本語の「筒もたせ」と通じる所から「美人局」と書いて「つつもたせ」と読むようになったという。これも私達が読み慣わせられているものである。
この様に中国から来た文字が、そのまま日本で読み慣わされているもので、落語の題名になっているものに「木乃伊とり」という噺がある。お茶屋に入り浸りの若旦那を何とか家に戻そうと大旦那が苦心し、番頭や出入りの棟梁が頼まれて茶屋に行き、連れ戻そうとするが、いずれも若旦那にとりこまれ、まさに「木乃伊取りが木乃伊になる」状態に陥っている。この話を聞いて権助が志願し、田舎言葉丸出し、いつもの汚い恰好で茶屋に行き、説得を試みるが、若旦那は下男だと馬鹿にして応じない。しかし、強気な権助の態度に一時は若旦那も帰る気になるが、最後は権助自身が木乃伊になってしまう噺.

最近ではミイラと読みやすいようにカタカナで書く例が多いが、この言葉も中国元代の古書にこのまま書かれており、ポルトガル語とかオランダ語の漢訳の言葉でmirraとかmirreの音訳になっているそうである。英語ではmummyというそうだが、木乃伊の音に一番近そうに聞こえるのだが、皆さん、どうですか。私達日本人は中国の昔の音訳された「木乃伊」をミイラと読みなれた言葉として、今後も使っていくのだろう。

地名には古くから言い慣らされた読み方があり、どうしてこんな読み方をしているのか不思議に思うことがある。円歌さんが噺家になる前の話をする時、鉄道学校の入学試験で「駅名に振り仮名をつけよ」という問題があったが、ある駅名が、どうしても解らず、隣の生徒の答案を覘いたら試験官から「のぞくな」と言われたので「のぞき」と振り仮名をつけておいたらこれが正解だったという話をしている。

この駅、「及位駅」という山形県東置賜郡の秋田県に接する奥羽本線上にある駅で周囲は背の高い山に囲まれているという。「及位」と書いて、どうして「のぞき」というのかが、インターネットをのぞいてやっと解った。それによると及位駅の写真が紹介されており、その駅の入り口に読み方の所以が書いてあるという。いわく「山岳修業が盛んだった時代に山形県と秋田県との境に聳え立つ山に篭った修業僧たちが「のぞき」と呼ばれる「断崖から宙釣りになり、断崖にある横穴をのぞく修業を行なわなければならなかった。そして後にそのうちの一人が京に上って高い位を授かったという話から「のぞき」の修業を経て高い位に及んだということで「及位」を「のぞき」と呼ぶようになったそうである。円歌さんは駅の読み方が珍しいのであの小噺を作られたのであろう。

総じて地名にはその土地の昔からの呼び名をつけているところが多い。北海道のようにアイヌの人達がつけていた名前を明治になり、漢字化したものが多いから、長万部や然別、標茶のように読み方や書き方にもまごつくこともある。

古典落語には昔の文人が作った噺があり、その当時の言葉が使われていることが多い。
「花見の仇討ち」などでも「もうきの ふぼく うどんげの」という台詞があるが、何のことか判らないので聞き流しているが、字で表わすと「盲亀の浮木 優曇華の」と書く様であるが、辞苑で見ると「盲亀の浮木」とは出逢うことが容易でない事、又は逢い難い人に仕合せに出逢ったことであるとある。また「優曇華」とは印度の想像上の植物で三千年に一度、花を開くもので、その時は金輪明王が出現するという伝説があるそうである。要するに尋ね探していたかたきにやっと逢えたという事を表現した言葉だと言う。

「金明竹」に出てくる中橋の加賀屋佐吉の使いの人が述べている口上は、今の私達のような骨董品に何の知識もない者にとってはお経を聞いているような気がするが、難読の品があり、なかなか解りずらい。「裕乗、光乗、宗乗」という三人の目貫師の名前やら、刀の柄に使う木質の堅い銘木の「鉄刀木」(たがやさんと読むそうである。)、寸胴切り(ずんどきり)という竹製の花筒、能古(のんこう)の茶碗は江戸前期の楽焼の名人が作ったものだそうだ、等々、私達には読みにくい文字で、慣れて、読み方を憶えておくしかない。

また、町の物売りの小噺の中にところてん売りの売り声が出てくる。「ところてんや、てんや」と言って売っていると説明されているが、ところてんは漢字で「心太」または「心天」と書く。 日本語源大辞典によれば平安時代に凝海藻で作った食品をコルモハといい、俗に心太の字を当ててココロフトといっていたという。このココロフトが室町時代にココロテイと読まれるようになり、このココロテイがさらに訛りココロテン、更にトコロテンになったという。「テン」は「太」の字を「天」に誤って書いたものかとも言っている。
私は「心天」は「こころてん」で「ところてん」と音の上で似ているから使われているものかと思っていたが、こんなに昔から使われていたものとは思わなかった。

談志さんがかって「へっつい幽霊」の噺の中で「へっつい」の説明を始めたら、観客に若い人が多かったせいか、判ったような、判らないような顔をしたのであろう、師匠は途中で説明をやめ、かまどのようなものだと言って、噺を続けていたが、確かに今は電気釜があり、ガスレンジがあって短時間で飯も惣菜もできあがる。薄暗い台所で真っ黒なへっついやかまどにかじりついて食事を作る姿は想像できないであろう。地方に行けば民族館のような所に古い農家や町家の見本が見られるが、こんな施設を覗いてもらわなければ落語の話は解らないかもしれない。

「へっつい」という字も「かまど」の字も辞書を見ると「竈」という同じ字であるが今は読むことも書くことも難しくなっている。同じような字に「笊」(ざる)という字ある。
関西の松鶴さんの噺に「米揚げいかき」というのがあるが、この「いかき」の字も「笊」を書く様である。


家の中の用具や器材を表わす言葉や字はもう書けなくなって来ている。書けなくとも不便は感じないから余り勉強することもない。ワープロやパソコンがあれば辞書のソフトを使って書くことは出来ようが、書いても読み手が読めなければ無駄な漢字になってしまう。
そうゆう意味からも難読文字は段々使われなくなってしまうのだろうか。


平成20年6月
posted by ひろば at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/33643987

この記事へのトラックバック