2008年07月01日

【087】若旦那と勘当(鈴木和雄)

今の世の中は核家族とか言って、子供は親から離れて,夫々一家族を持って、各々の分野で立派に働いている。親も子供達を将来、自立出来るように、また健全な社会の一員として貢献できるように教育し、努力している。であるから余り家系を継ぐとか,家名を揚げるとかということには気にしていないようである。

江戸時代は家が大切で、殊に武家の場合は幕府や藩から給される家禄は全て家に下されていたものであるから,家系が絶えれば、全てストップされ、残された者たちは路頭に迷うことになる。そのため先ず子を沢山作り、しかも家を継ぐ中心となる男の子を育て、長男が駄目なら、次男、三男と何とかして家系と家禄を絶えさせないようにしていた。

どうしても男の子が居ない場合は養子を迎えてでも家が潰されないようにして、家禄を守ろうとした。
町家の場合はそんなことは無く、皆、実力で這い上がった世界であるから、その本人が一生懸命稼いだものを蓄え、それを子や孫に残すことが家を栄えさせる基だと思っていたから兎に角、働きに働いて財産を残すように努力したのである。

しかし、噺に出てくる商家の息子達、所謂若旦那達は親のそんな意向とは関わり無く、親が稼いだ金を湯水の如く使い、下手すると家を潰してしまう輩も出てくるようになってしまった。実例を言えば、紀伊国屋文左衛門があれだけ稼いだ財産を子供の代になり廓通いに明け暮れして、全部無くして紀伊国屋はあえなく雲散霧消してしまっている。

噺の若旦那もそう成り兼ねない連中が多数出てくる。そもそも若旦那とは、商家の嫡男が15−17歳で成人し、親戚、縁者が将来その商家を継ぐことを認め、取引先にも了解を得た上で、若旦那と呼ばれるようになる。

武家のように成人式を終わり、主家に届け出て,初めて将来その家を継ぐことを認められるというほどの格式ばったことは無かった。
そんなに皆に祝福されて、次の後継者として認められて若旦那になっても一旦、茶屋の酒の味を覚え、廓に行って女と遊ぶことを知ると、元々苦労を知らないで育った人間だから、金の有り難みを知らず、使うことばかりを考えている。

こうなると親の忠告を聞くどころでなく、親戚が集まって開く親族会議の席で大見得を切ってしまう。「お天道様と米の飯は付いて廻らあ」とばかりに啖呵を切り、親の勘当を受けて、家を飛び出し、今までの甘い言葉を信じて花魁のところに行って見るが、  金の切れ目が縁の切れ目とばかりに放り出されるのは皆さんご存知の通り。ここから若旦那の苦労と滑稽話が始まる。
噺に出てくる若旦那には色々なタイプがある。私達が一番目につくのが、親から勘当されて何処にも行く所が無くなり、居候をしている若旦那である。

現代は勘当と言う法的な措置は無くなり、余り身近な言葉ではなくなったが、江戸時代は一家のうちで子供が不行跡な行為があると、親がその子を勘当することがよくあったようである。この勘当は親が自分の子をその家から追放する行為であり、親族関係も保っていられなくなる。所謂、久離の一種で追出久離といった。

この勘当は口頭又は文書で言い渡した程度では、軽い勘当で内証勘当と呼ばれたそうで、法律的効果は発生しないが、正式に一定の手続きをとり、江戸の町奉行の言上書に登録されると本勘当(重い勘当)となり、廃嫡され、人別帖からも除外され、所謂、無宿者にされてしまったと言う。

しかし、勘当された者が悔い改め、素行が直った時は、親が役所に帳消しを願い出ることにより、元の状態に復帰することが出来たそうである。
噺の若旦那はどうもこんな本勘当にいたるような人はいなかったようだ。

「お世継ぎのつくりかた」鈴木理生著によれば、商家では男の子にはあまり期待をかけず、娘を持つことで良しとしたと言う。優秀な息子であれば、勿論この子を育て、後継ぎとすることは願っても無い幸せだが、しょっとして道楽を憶えた息子にでもなったら、そんな息子は当てにせず、娘が居たらこの子に養子を迎え、後を継がせることの方が家の発展のためにはいいと考えていたそうである。

この為、店の手代や若い番頭からこれと目星しい者を密かに選び、育てていったという。
一方、息子には金を使えるだけ使わせて、最後に勘当と言う形で、家から追放してしまうという、むごいことも行われたということである。

榎本滋民氏によれば「廃嫡、無宿と言う重リスクを自覚しながら,ちやほやもてはやされるままに剣の刃渡りのような道楽を続けるくらいでなければ、筋金入りの「ばか(若)旦那」といえないのではないか」と述べておられる。

私達がよく聞く「唐茄子屋政談」「湯屋番」「船徳」「紙屑屋」「へっつい幽霊」に出てくる若旦那連中はみな、親に勘当され、家に居られず、居候をしながら、食うだけは細々
米の飯を得ることは出来るが、もう吉原通いは出来ない。「よかちょろ」の若旦那も噺の終わりの方で勘当させられている。「火事息子」の若旦那も臥煙となり家を出ている。なんせ家の仕事をやろうとしないから親から勘当同然の扱いをされている。

勘当に至らないまでも親が稼いだ金を惜しげもなく使い、酒に女にと遊び歩く若旦那は噺の上で悲喜劇を演じてくれる。
「二階ぞめき」は番頭の発案だが、二階に吉原と同じ構えの町造りをやってもらい、外の放蕩は止んだが、家の中で一騒ぎ。「干物箱」の若旦那はすきあらば、声色のうまい幇間を使って遊びにいく算段ばかりしている。

酒と女ばかりが若旦那の遊びかと思ったら「七段目」のように芝居狂いの若旦那、浄瑠璃気違いの「義太夫息子」。
「山崎屋」の若旦那の台詞に親父が亡くなったらこの財産は俺のものだから、そのときは大いにやろうと番頭に言っているが、こんな若旦那が旦那になってもちゃんと店の経営が出来ず、遊ぶことばかり考えていて、金遣いが荒いと店を維持することが危ないこととなる。

そこで家と店を守るために、番頭や手代たちが、その家の親戚、縁者と相談して、そんな旦那は追放して、次男等がいればその人に跡を継いでもらうか、居なければ養子を迎えて店を守って貰うようにしたと言う。

しかし息子が何人居ても「三人息子」「片棒」のようにそろって放蕩者ばかりだと、親もなかなか安心して死ねないだろう。

当の若旦那は金を使うわけではないが、親が色々心配をしてやらないと治まらない若旦那もいる。色恋の話で心配をかける噺に「崇徳院」、始めのうちは色恋が無くて心配をかける「明烏」の息子、その内大変なことになるがそれはまた後の話。「千両蜜柑」は蜜柑一個で大金が要り、「擬宝珠」は緑青を舐める恐れがあり心配だ。「へっつい幽霊」の元若旦那銀ちゃんの親は幽霊に呪われてはいけないと300両の金を出している。
「花筏」の素人力士、千鳥が浜も親から花筏と対戦したら勘当だと諌められている。

噺の若旦那というのは女の尻を追いかけたり、茶屋の酒を飲んでいたり, 廓に入り浸りの連中ばかりかと思っていたら、案外真面目な若旦那もいるのだ。
「火事息子」の中で風邪を引いた親に代わって火事見舞いに来る紀の国屋の若旦那、「六尺棒」の中で親父さんが真面目の見本としてあげた隣の清六さん。「宮戸川」の将棋にばかり凝っていて毎晩帰りが遅い若旦那、締め出しを食っていて慣れっこになっているが、酒と女に縁が無さそうである。
今は一寸した会社の社長の息子でも学校を出ると、余所の会社に就職し、そこで仕事の勉強をして、相当の経験を積んで経営者として一人前と認められて,始めて親父さんの会社に入り、そこの経営に携わり、社長として育てられて行くのだが、昔でも大店では同じような教育方法だったのだろう。

噺に出てくる若旦那は親が稼いだ金を惜しげもなく使い、遊び放題で、家の仕事を継ぐ気概も無く、金が無くなって始めて目が覚め、明日の飯にも困って自分のこれまでの生き方に涙するのだが、勘当前でまだ戻れれば、家業を継ぐために汗を流すことも出来るが、本勘当までされてしまうと容易に家に戻ることもままならず、若旦那の地位を捨て幇間にまで落ちぶれて「太鼓持ち揚げての末の太鼓持ち」のような形になってしまう。

今はもうこんなだらしの無い若旦那は居ないであろう。社会のシステムがしっかりしてきているから、放蕩者は容易に受け入れてもらえないようになっている。


平成20年7月
posted by ひろば at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ
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