2009年05月01日

【096】犬は友達(鈴木和雄)

街を歩いていると犬を連れた人達によく会うこの頃である。愛玩動物として犬、猫等々、色々人が飼って楽しんでいるのを目にするが、なかでも一番人間に愛され、役に立っているのが犬であろう。昔から狩猟用、牧羊用、更に橇や車を引っ張る牽引用や運搬用として人間の手助けをしてくれている。更に最近では番犬、警察犬、軍用犬、盲導犬,介助犬、麻薬探索犬として飼われており、犬の活躍する場所は各所にある。そして今、最も多いのが愛玩用として室内で飼っている小型の犬で人の目に付く存在である。

猫に比べ犬の方が人間の役にたつ分野は大きい。猫だって昔は人間の大切な穀物を食い荒らす鼠対策に大いに役立ち、殊にペスト病が流行った中世期に猫を大量に移入し、鼠を駆逐することによりペスト病をなくしたという実績があるくらいだから人間にとって有難い益動物ではあるが、昨今は鼠もそんなにいず、猫の活躍する場もなくなったのでもっぱら愛玩用として各家庭で飼っているのに過ぎなくなっているようである。

そこへ行くと犬は大昔から人間の狩猟時の手足となり、穴居生活をしている時でも一緒に住んでいたという記録があるそうである。犬のそもそもの祖先は狼だと言われている。
大昔は狼が人間を食い、人間が狼を食べていたが、段々人間が石斧や槍等の武器を持つようになり、狼が人間に近づかなくなり、逆に人間が従順な種類の狼や子供の狼を捉えて、餌を与え、育てて、身内に引き込み、他の狼や動物から人間を守るために役立てようとしたのが、段々、犬型化していったと言うことである。

そのような進化過程から人間と犬の関係は他の動物と比べて、親密度が強く、早くから愛玩だけでなく、働く動物として人間が深く関心を持ってきたものだろう。
猫の場合も割合古くから人間に愛されてきたが、一方、猫の愛嬌の無さが災いし、逆に化け物としてとらえられたり、事件を起こす元凶として遠ざけられたりしたことがあり、噺の方では好き嫌いが半ばしているようである。

そこへ行くと犬の方は擬人化どころでなく、人間そのものになってしまう「元犬」の様な噺があり、人間になっても犬の性格は失わないところが笑いを生じさせてる。
噺には犬という演題をつけないでも、噺の端々で話題として一寸出てくる犬もある。

「粗忽長屋」で赤犬を「あかー出て行け」と叫んでいるのを「かかあー出て行け」と聞いて、また夫婦喧嘩が始まったと心配する隣人が居るし、「不精床」では以前、親方が切ってしまった客の耳に味をしめた野良犬が、今日も客が入っているのを見て、またご馳走にありつけると店に入ってくる人懐こい犬もいる。「品川心中」では女郎との心中に失敗した貸本屋の金ちゃんが、品川の海を上がって親分のところに行く時に,髪は乱れ、着物も破れ姿となり、町を歩いていると町内の犬に吠えられ、町内送りをされており、夜の寂しさと金ちゃんの哀れさが伝わってくる場面を表している。

上方噺の「鹿政談」では豆腐屋の親爺さんがきらずを食べている鹿を犬と間違えて殺してしまい、お白州で奉行に犬と思って薪木を投げてしまったと正直に白状し、奉行の方も無理に犬だと周囲の者に納得させて切らずに帰している。

「胴乱の幸助」では喧嘩とあれば何でも仲裁に入ることを道楽としているが、人間ばかりか、犬の喧嘩にまで仲裁をする気で餌を与えて、騒ぎを収めている。そして犬そのものではないが、話の一つとして「青菜」ではかみさんがいつも「鰯がさめちゃうよ」と亭主を呼んでいるが、亭主の方は家の恥をさらすと文句を言って「鰯ばかりではあきる」と言うと、かみさんが鰯には滋養があり、カルシュウムが沢山あり、「犬を見てごらん,風邪ひとつひかないよ」と反論して、犬の元気の源を語っている。

「骨違い」でも嫉妬深い大工の熊五郎が、かみさんが棟梁の息子を慰めているのを聞いて、間男と勘違いして、息子を薪で打ち殺してしまい、弟分の家の床下に埋めた貰うが、後刻、訴えられ、お白州に出ることになるが、弟分が息子の死骸と犬の死骸を取り替えてくれて居たので、助かったと言う噺だが、ここにも犬が変な形で出て来ている。

「元犬」と同じような人間変身の噺であるが「犬の字」では犬殺しに捕まえられそうになった時に、店の主人に助けた貰った白犬が恩返しをしようと神様に祈り、人間になって真面目に勤めたところ、主人が嫁を取ってやろうとするが、しかし、元が犬だから正体が出ると嫁の親に済まないからと断っていたが、ある晩、男に酒を飲ませ、寝入った姿を見ると、大の字になり寝込んでおり、枕を肩の処に置き、犬の字になっていた。

犬は昔から医学的にも役にだって欲しいという願望があったのか、「犬の目」では眼病に罹っていた患者に医者が手遅れとばかりに目を繰り抜いて、洗って干しておいた所、犬が来て食べてしまった。困った先生はその犬の目を繰り抜いて男にはめ込むとよく見えるようになったが,夜目が効くようになると共に、小便時に片足を上げてするようになった。

「犬の足」の噺で、物知りが、昔は、犬は足が3本しかなかった。しかし3本では不便なので神様に4本にして欲しいと頼むと、神様は不憫に思い,五徳の足が4本あるが3本でも宜しかろうといい、1本を犬に与えてくれたと言う。その証拠には犬は小便をする時、1本は神様から貰ったものだからといって片足を上げてやっているという「薬缶」に似た無学者、論に負けずの噺。
「大店の犬」では店の前に捨てられていた3匹の子犬のうち鴻池の岩崎家に貰われて行った犬は大きくなり、仲間にも勢力があり、親分株になっていたが、ある日よその犬が苛められているのを助けてやり、身の上話を聞くと弟犬である事が判る。話の最中に家人が「こいこい」と呼ぶので行ってみると餌がもらえた。また「こいこい」と言うので行って見たら坊ちゃんが小便をさせられる処だった。小便つながりの三席。

「犬の無筆」犬が字を知らないのは当たり前だが、犬に吠えられたら虎という字を手に書いて握れば吠えられないと聞いた男が、早速やってみたが、やはり吠えられてしまった。男はこの犬は無筆だと言う。

犬を可愛がるのもいいが、けじめはちゃんとつけないと笑いものになる。「天王寺詣り」別名「犬の引導鐘」では大阪天王寺で彼岸の日に無縁仏の供養のため、引導鐘をつけると聞いた男が、寺に行き、死んだ犬の供養をしたいと申し込むと戒名を問われ、「犬の黒」と言ったはいいが、ついでに親の戒名も唱えてくれと言う人間の尊厳を無視したとんでもない噺だ。今でも人間の墓より、犬の墓の方が立派と言う話もあるそうだ。

犬が口を利くのは擬人化の一歩であるが「いつ受ける」では博打ですってんてんになり家に帰り、かみさんの懐を当てにしたが銭はないといわれ、着ているものを出させ、これをぶち殺す〈質に入れる〉と言うと、いつ受けると言われ、仕方なく親にも子供にも聞いて見るが、これもいつ受けると言うのみ。腹立ち紛れに表に飛び出すと、寝ていた犬の尾を踏んでしまう。犬がなき騒ぐと「畜生ぶち殺す」と言うと犬までもがいつ受けると言う。

「いろはかるた」にも「犬も歩けば棒にあたる」と言う言葉がある。言語学者の金田一秀穂先生によれば「何でもやってみるが良い、そうすれば幸運にあたることがある」と言う良い意味がある言葉だそうである。犬という語を借りて何か人間に幸せをもたらすと言うことを表しているそうである。

犬の持つ嗅覚は人間の100万倍以上だと言う。聴覚も猫には劣るが、人間の7倍だと言う。人間はこの感覚を活用して狩猟時に使ったり、警察が捜査の際に犯人の追跡に使ったり、麻薬探知犬は空港などで活躍して、大いに人間の役に立ってくれている。また他の動物と違い、知能が発達していることが人間に幸せをもたらして呉れており、盲人が外出のときに助けて呉れたり、身体の不自由な人のため介助をしてくれたりしている。また、番犬として夜間や家人の居ない留守時に不審者の侵入の警戒をしてくれている。

飼い主が外出から帰って来ると、歓迎の態度を全身で表してくれ、益々可愛くなり、思わず頬ずりしてしまう人もいる。老人介護施設ではこの頃、老人たちの心を癒してくれる「癒し犬」として導入しているところもあるようで、犬の働きが益々喜ばれている。
犬が噺の上で単なる笑いを起こす存在だけでなく,みんなに可愛がられるペットとしてその活動分野を拡げていくのであろう。

平成21年5月
posted by ひろば at 08:30| Comment(0) | TrackBack(1) | エッセイ
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