2009年11月01日

【101】噺に出てくる昔の病(鈴木和雄)

 談志さんが「へっつい幽霊」の古典落語で使われている生活用品が出てくる時に、今の若い人はその道具が今は使われてないからいちいち説明しなければならず、面倒臭いし噺が進められないから、お客は勝手に想像をしてくれないかと、言っていたが、まことに古典落語に出てくる話では、生活用具に限らず、昔、人々が苦労したいろいろな病気の名前が、今の生活状態では不可解で、僅かに高齢者の人達が判るだけになっているのではないだろうか。

 ある噺家さんの話では昔は藪医者とか、筍医者とか言われる人達は人体を三から五くらいに分け、頭が痛い時は頭痛、腹が痛い時は腹痛、足が痛い時は足痛などといい、全ての病人に葛根湯を与えるだけという乱暴な治療があったと話していたが、あながち嘘でもないだろう。

 これ程ではないとしても、昔は四百四病といわれ、今のように病状や病名を細分化できないから、割合大雑把な分類で治療に当たっていたのであろう。噺に出てくる病名としては私達が聞いてきたのは「疝気の虫」で医者の思いつきで蕎麦を食べさせているものや、眼病で治療中に犬に食べられてしまったので、犬の目を繰り抜いて人間に入れてしまった「犬の目」、「鼻欲しい」では梅毒で鼻を失った人の話、「薬缶舐め」で癪を起こして、侍の頭を舐めさせてもらった女将の話等いろいろある。

 今は疝気とはどうゆう病なのか、癪とは体の何処が痛むのかさっぱり判らない。鼻が無くなった話にしても現代はそれほどの重症になる人は殆ど居ないのでピンと来る話でない。しかし、江戸時代は吉原や品川、新宿、板橋、千住等の四宿、更に街道筋の旅籠には飯盛り女がいて、フリー・セックスの時代は旅の恥はかき捨てとばかりに楽しんでいたので、自然、悪い病を背負ってくる人々が多かったのだろう。しかも、治療薬は水銀剤しかなく、昭和の時代になって、ようやくペニシリンが発明され、やっと、根治されるようになったと言うことである。

 割合、噺に出てくるのは、昔の医者がずばり言っている「気の病」というものであろう。「崇徳院」では上野清水寺の前で会った娘に若旦那が、「紺屋高尾」では高尾太夫の姿を見た紺屋の若い衆が、また幾代太夫の錦絵を見た搗き米屋の若いのが恋の病に落ち込んでいる。

 「千両蜜柑」では若旦那が蜜柑に恋して病に伏している。どれをとっても会いたい、欲しい、食べたいと言う自分の欲望を抑えきれない精神的な病である。昔は現代のようにどんどん口に出していえない人が多く、うつ病的なものになってしまったのであろう。風邪は万病の元と言われ、注意はしていたが完全に予防できるものでなく、結構流行ったようである。一旦、風邪を引くと葛根湯を飲まされるだけで、碌な治療方法もなく、段々重症となり、遂には命を落とすことにも為りかねなかったという。

 先代の正蔵さんの自作の「双っ面」に出てくる左柳師匠が風邪を引いて、一寸寝たのがこじらせて、長い休みを取っている間に名優の小幡小平次の幽霊に教えて貰った演技をやれなかったといっている。また歌司さんの演じた「徂徠豆腐」で豆腐屋の親父がやはり風邪を引いてこじらせ半月以上も休んでしまい、浪人時代の荻生徂徠をおからで食事を支えていたのが途絶えてしまい、その間に徂徠は職を得て出世するという。いずれも風邪でダウンしている。

 最近発刊された氏家幹人氏の「江戸の病」と言う著書によると、昔の老人の死亡原因は中気が多かったと言われる。若い女性の死亡は産後のひだちが悪く、絶命する人が多かったようだ。その他、労咳とか、労瘡と言われた結核で長患いの末、亡くなる人、更に今の癌の症状でなくなる人もあったという。

 「犬の目」に出てきた患者は「そこし」であろう。「そこし」とは昭和10年発刊の古い「辞苑」で見ると「眼球内の疾病の総称。目の外見は異常なくして、視力を失ったもの、黒内障、白内障、緑内障を言う」と出ている。現代は白内障、緑内障、網膜黄斑変成症などに分けられているようだが、これ等は早期に手術をすれば視力を失うことがないといわれる。

 江戸末期にオランダから日本の長崎に来た軍医のポンペ医務官は日本では西洋に比して盲人の数が多いと記しているそうだ。これは日本の眼病に対する医術が遅れていたと言うこともあるが、日本の庶民の生活が貧しいため栄養状態が悪く、重労働が多かったのでその原因に挙げることが出来よう。

 「寝床」では店の旦那の浄瑠璃を聞かせられる羽目になった若い衆は「胃痙攣」だと言い、ばあやは「すばこ」又は「すばく」だといっている。「胃痙攣」とは辞苑に「急にさし込んで来る激しい上腹部の痛みを言う」とあるが、今は胃痙攣という病気はないそうである。原因としては、胆石、急性膵炎、などが上げられる。狭心症や心筋梗塞による上腹部の痛みが起こることがあるという。

 「すばく」又は「すばこ」は「寸白」と書き、辞苑では「婦人の下腹の痛む病」とあり現代では「白帯下」又は「腰気」(こしけ)と書き、子宮病の総称を指すという。

 「疝気」とは辞苑では「漢方で大、小腸、腰部の痛む病気」と出ている。今は疝気ですという医者は居ない、現代医学では何と言っているのだろうか。

 「癪」は辞苑では「強度の胃痙攣によって胸部と腹部に起こる激痛、婦人に多く、激しい時は人事不省になる」と出ている。これは前記の「胃痙攣」の話でお解かりでしょう。

 今は聞いたことがない、「腎虚」という病、「大名道具」という噺で出てくるが、大名が自分の持ち物に劣等感を持ち、大明神にお願いしたが、うまく行かず、怒って社を壊したら、大明神が家来の持ち物を一斉に取り上げ、困った重役共がお祈りすると全部の持ち物を返してくれたのは、いいが、いっぺんに返されたので、どれが誰のものやら判らず、殿様がその機を狙って一番大きいものを持って来てしまい、宜しく奥方らと励んだため、家来の可内(べくない)が腎虚で亡くなったという。「腎虚」とは辞苑によれば「男の体液の欠乏から起こる身体の衰弱、死亡することもある」と出ている。

 「代脈」では医者が偶には若い研修医を代診として使ってみようと患者の家に送りこんでいるが、これも病状がたいしたものでなく、精々お腹を押したらお屁らをしたくらいだから、便秘か食べすぎぐらいだったのだろうか。

 「三年目」では亭主が若い女房の病がなかなか治らないので、次から次に医者を代えているが、昔は医者を代えることにより、今まで使っていた薬を替えることが出来るので、患者に効果のある薬に当たるまで何回も医者を代えていたのだそうだ。これを転薬といって昔はよく行なわれたのだという。

 「夏の医者」では父親が好きだと言う「ちしゃ」(今のレタスだそうだ)食べさせたが、食当りでダウン。ちしゃの葉の裏には虫がいることと、食べ過ぎたことだと、医者に注意されたが、当時、どんな薬を出したかは噺の中では判らないが、大蛇に飲みこまれたときに腹の中で大黄を散布して、下され、見事、危機を逃れているが、病人に対しても同じ様な漢方薬を使ったのだろうか。

 落語に出てくる昔の病の話では以上のような噺が思いだせるに過ぎないが、これの他、当時、人々に怖れられた病にコレラがある。当時は感染すると三日ぐらいで亡くなる事があり、三日コロリと呼ばれたと言う。文政5年(1822)、安政5年(1858)、文久2年(1862)と流行し、ことに文久2年はハシカも加わり、江戸市中だけでも数十万人の人が亡くなったと記録されている。

 この外、天然痘があり、当時は痘瘡と言われたそうだが、将軍の息子も罹り、命を落としているという。また、今で言う結核である労咳といわれる病もあった。寄生虫による病もあり、各地の風土病もこれに加え、人々を悲しませた。 赤痢や腸チブスのような下痢と嘔吐が激しく、痢疾と言われ、急激に体力を失い、死亡するという状況だった。

 また、痞(つかえ)といい、辞苑によると「胸部に物がつかえたようで苦しい症状を示す」病。更に瘧(おこり)と言う「悪寒と発熱が間欠的に襲う病」と記されているが、現代ではどうゆう病気を指しているのか不明である。

 「湿疹」と言われる今で言う疥癬が生じることもあり、なにやら判らない漢方の塗り薬で治療されていたのだそうだ。これ等のほか「江戸病」と言われれた脚気がある。江戸の人々が上流階級の真似をして白米を食べる様になり、脚気が生じた。これに対しては、麦飯を食べさせることで病が減っていったという。

 「御神酒徳利」に出てくる番頭が三井の番頭のたっての願いにより、関西に向かう途中の神奈川宿で侍の密書と財布を盗んだ宿の下女が番頭の占いの効果を信じたため恐ろしくなり、自白に及ぶが、原因は、下女の親父さんの病に見舞いに行く時間と薬である朝鮮人参を買う金の前借も認めてくれないためであった。

 昔は病気になれば朝鮮人参というのが看病する人達の願いであった。しかし、貧富の差の激しい時代に、貧乏人はそんなに簡単に人参を求めることは出来なかった。「江戸の病」の氏家氏によれば、朝鮮人参は宝暦5年(1755)で、2匁(7、5グラム)で、金 1分と 708文で買っている。今の金に直すと 1両が10万円とすると25,000円+(1文が17円ぐらいだから)12,000円で計37,000円となる。しかし、これとて役所の処分品だったので安いという。

 (この1両10万円と言うのは数年前の換算値で、今は1両16−18両だという人がいる。この為、今は、1両はここに表示する円価の1.6−1.8倍する必要があるかも知れない。)

 しかし、いくら安くても金のない貧民層には手の届かないものだった。しかも、都会に居る人々は、何時でも望むときに薬を手に入れることが出来たが、地方の農村ではそれが出来ず、医者も居ないし薬屋もない。更に富山の売薬の行商人も金のない地域には来てくれない。こんなところでは一旦病を得ると治療に苦労するばかりでなく、収入の道も断たれ、薬も買う金もなくなり、死を待つ以外に無くなる。そんな時に都会に出ている息子や娘が居れば、金の工面をして呉れるように頼んでも、薄給のため、おいそれとは頼みに応じてくれない。

 奉公先の主人に借金を申し込んでも、よい返事がもらえず、また、見舞いの休暇も認めてくれない。こうなると、「御神酒徳利」の下女のように他人の金に手を出さざるを得なくなる。


平成21年11月
posted by ひろば at 08:35| Comment(0) | TrackBack(1) | エッセイ
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